ちこちゃん

映画 太陽の子のちこちゃんのレビュー・感想・評価

映画 太陽の子(2021年製作の映画)
4.5
今だからこそ観るべき映画。8月6日というこの日に公開されたこと自体に意味がある映画であり、観る人の数だけ多くの捉え方ができる映画。
つまり映画自体に余白があり、観客の想像力に委ねる映画ともいえる。
役者 三浦春馬さんの最後の公開作となるが、「役者とは想像力を届ける仕事であり役目である」と語っていたように、特にいろいろな世代にこの映画が届くことを願う

黒崎監督が図書館で見つけた一つの資料に日本においても原子爆弾を研究していた京都大学の学生がいたことが記載されており、そこから始まり10年の時を経て形となった映画
科学者とは真理を追求し新しい発見をすることを職業的に追求する性がある。人間には様々な役割がある。主人公の修は兄であり、息子であり、学生であり、友人であり、社会の一員であり、そして科学者である。科学の深淵さと発見していく喜びに魅入られた時、すべての役割を忘れて科学者となる。そうなったとき、その科学者であることを追求し、新たなものを発見するあとに何が起こり、何につながるのかということの想像力が奪われてしまう。主人公の京都大学学生であり科学者である修の狂乱的に科学を追求していく様をみて、田中裕子さん演じる母親が発する「科学者というのは、そんなに偉いんか」という言葉は重い。
京都に原子爆弾が落とされるという噂を聞き、修はその原子爆弾の炸裂する様を自分の目で見たいと思い、比叡山に登る。そこで母が作った大きなおにぎりを頬張っているうちに自分の息子としての役割を取り戻す、そして有村架純さん演じる節の幼馴染以上の大切さを取り戻していく。その過程が秀逸であり、人間の科学への狂気と日常の揺り戻しを修を通じて観る。この科学への傾倒と科学が将来的に人類にもたらす便益と副次的な悪
を想像することの重要性と必要性を示すことがこの映画の一つのテーマである

もう一つのテーマは「生きる」ということである
一つこの世で真実だと言い切れるのは、昨日があることは100%確実であるが、明日があるかどうかは確実ではないということである。明日の命がない可能性が高い三浦春馬さん演じる軍人である裕之の笑顔はまぶしい。明日を思い悩んでるだけで過ごす1日も未来を信じて笑顔で過ごす1日も1日にはかわりない。人は誰しもが陽と陰を持っている。しかし戦時下という人の死が日常となった生活では、未来を想像することはより困難である。切迫している死を恐れ、恐怖と戦いながらも笑顔で過ごそうとする裕之の姿は死と対峙した人間の哀しさと表すにあまりある。想像する未来がないことを知りながら「未来の話をいっぱいしよう」という言葉は重い

未来が語れる世界と社会を持つためには、人類がコントロールできることの限界を知る必要があり、それは自然科学がコントロールできないことをコロナが示している そのような謙虚さを持ちつつ、未来を想像し、信じることができれば人は生きていけるのではないか。
戦争やいろいろな事情により、生きたくても生きることができなかった数多くの人々のためにも、生きることが出来ている人々は生きなければならないのではないか。

黒崎監督はドキュメンタリーのように映画を撮りたかったとのことであり、カメラマンがカメラを持って主人公と同じように走って画像を取る手法と使用していた。好みは分かれるところではあるが、ドキュメンタリーのように見せたいという意図は成功していたように思う。
柳楽さん、有村さん、三浦さんと脚本からキャストを選んだとのことであり、ベストなキャストであったと思う
柳楽さんは本当に素晴らしい役者で、この難しい科学者の狂っていく様を目で表現しており、目を片方づつ操れるのではないかと思った。
有村さんも3人の中で唯一現在と未来を結び付ける役割であり、戦争の後を見据えた女性の役割で、戦争と距離を置くことができる強い女性の役柄がとてもはまっていた
三浦さんは死を覚悟する軍人士官の役がはまっていた。煌めく笑顔、内側から発せられるエネルギーとともにその裏側にある自分の運命を受け入れていく諦観や死への恐怖や自分だけが戦争で生き残ることへの自責、そういったものが混在する陰の部分、そして人間の脆さというものがどこまで役柄であり、どこまで彼自身であるのかがわからないほどであった。

多くの人にこの映画が届き、想像し、話してほしい映画です
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