自称小説家のモート・リフキンは書きかけの小説を中断して、映画のプレス・エージェントをしている妻スーとスペインのサン・セバスチャン映画祭に行くことになったとセラピストに話す。モートの本当の狙いは、スーが担当する映画監督フィリップにのぼせているとの疑惑があることだった。スペインに着きモートは、大学で映画を教えていた知見を初対面のフィリップに語り出した。
▶︎サン・セバスチャン映画祭を舞台にウディ・アレン監督が、まるで自身を重ねたように描いたラブ・コメディ作。
初老のモートが抱える夫婦の危機と、出会った医師ジョー夫婦が抱える葛藤を対比させながら、モートがみた夢をヌーベルバーグ期の映画に重ねていたのが興味深かった。
ベイルマンやトリュフォーの映画シーンが複数ある他、ゴタールやフェリーニ、ルルーシュのお馴染みのシーンがオマージュされていて、それはそれで嬉しいのだが、それらに比重を置かれてしまうのは何か違うと思う。(『突然炎のごとく』や『勝手にしやがれ』は涙ものだったとしても)
若い映画監督が撮った作品が評価され、その監督に夢中な妻。自身は以前映画の教鞭を取っていて芸術としての映画に思い入れがある。誰もが経験のある「オレは昔なぁ〜〜」的オヤジ(オバハン)のひけらかし。それの自己反省も含んだコメディを目指したと思われるが、それさえも鼻高々になっているという矛盾が痛い。
ウディ・アレンの初期に好きな作品は多いが、ウディ・アレン作品をオシャレで片付けたりする他過大評価されている気がしてならない。それはウディ・アレンのせいではないけど、良い悪いは別にして今作も自己愛の強い作品だった。