わかうみたろう

無聲 The Silent Forestのわかうみたろうのレビュー・感想・評価

無聲 The Silent Forest(2020年製作の映画)
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財布泥棒を主人公が追っかけるシーンから始まり、校内の風景やバス内の手話を使った生徒たちの盛り上がり等、序盤は身体表現で映画の熱量を生み出していた。その熱気の中、違和感が少しずつ重なり、バスの後ろの席で性暴力が行われているという展開から、段々と映画は静かな方向へと向かっていく。その過程は障害者、学校、性暴力の暗部へと物語が踏み入る道筋となっていた。また、主人公と男の先生が学校へと入っていく始まりから、物語を回していくのがこの二人であることも明確に示唆されており、映画に入り込んでいくのに不自由さを感じない。
 加害と被害の構造を、人と人の連鎖と学校の制度を基に広く語っているが、監督の描写方法は丁寧で、一つ一つの偏見や加害を炙り出していく。そのため問題の広さに反して、被害生徒たちへの感情の移入の深度は徐々に増していく。
 日本では芸能事務所の本社長による性加害問題がようやく取り上げられる事になったが事務所の隠蔽体質は変わらず、映画の聾学校のような構造のままでいそうで、どうも日本社会の感覚が狂っていると振り返らざるを得ない。
 また、子どもへの虐待を調査しだしたのは先生であるというのは示唆的であると考える。記者は情報の後を追うだけで、問題に目の前で向き合うのは現場の先生しかいない。記者が事件が起こってしまった後に事件を追う必要もあるが、周りの大人一人一人どのように身近に居る子どもを守っていくか、またそれがどれだけの大人ができるのかを映画が問いかけているようにも見えた。大人である〇〇が自分のエゴに閉じこもったまま都合好く子どもを扱い、更には子どもの気持ちを度外視して泣き出す姿には、厳しい目線を向けざるを得ない。性被害を受けたと子どもがレッテルを貼られるのは可哀想、という(たしか両親のどちらか)の言葉の裏には、大人たちがどうやって親としての体裁を守るかという気持ちが薄ら見えてくる。しかし、そんな中でも主人公と主人公が好きな娘のおじいちゃんが海岸で対話をするシーンもあり、養育者が抱える苦労が生む暴力ばかり見ていては子どもとのコミュニケーションの仕方を忘れてしまうのではないかとはっとさせられる。
 大人たちも、子どもど同様に誰かに見守られるべき存在であるが、この映画には大人に対して優しさを向けてくれる人は出てこない。映画のラストに性暴力を受けた子どもが暴力をするシーンがあり、暴力の構造は簡単に解決できないと思わされる。どうすれば問題を解決できるのか?と観客は投げかけられている。大人たちはどれだけ自分自身を大事にしてもらえているのか?他者への信用が、自分たちで作り出した幻想の中で生きている大人たちに芽生えていない視点は、それを考える上で大事になってくるだろう。聾学校以外居場所がないと何度も繰り返す生徒たちの声は、そのまま大人たちが社会に対して感じている不信感にも繋がっているのではないか。
 技術的な面を話すと、耳の聞こえない子どもたちの手話で話すとき、服が擦れるあの静かな音が印象的であり、サウンド・トラックの派手さと対照をなしていた。この擦れる音は話して会話をする人たちは決して出さず、手話をする人物たちがもつ気づかれにくい生の躍動感と苦しみが宿っているように聴こえた。
 途中でカッコイイショットを撮ろうと試みている部分があったが、物語ベースで進む中で突然シュールなクールさのショットを取るのはリズムが悪いため、構図の決まり具合にとらわれずシンプルに被写体を捉え続けたほうが良かったのではないか。辛い気持ちに感情移入、共感させようとしている中で、突如一歩引いた視点になることはいい効果をもたらさないと思う。