やったカニ

マッドマックス:フュリオサのやったカニのネタバレレビュー・内容・結末

4.5

このレビューはネタバレを含みます

ジョージ・ミラーは同じ映画を作らないらしい。
怒りのデス・ロードから全く別の方向にハンドルを切って、なおめちゃくちゃ良かった。マッドマックスの世界観、登場人物がグッと拡張される感慨。ウォータンクになんであんなにウォーボーイズの護衛が必要なのか、正直今作を観て初めて理解できました。
それでもってあのカーアクションの手数の多さ。キメキメのショットとスピード感は変わらず、攻撃の仕方はガラリと変わってる。パラシュートが飛び出す瞬間とかマジで興奮した。

さて、前作とまた異なり、また同じなのは、イモータン・ジョーとディメンタスという二人の悪について。彼らはその最期が衝撃的なまでに異なる。前者はフェミニズムの文脈の中で、乗り越えられる(踏みつぶされる)ものとして、後者はより広く捉えることができると思った。
今作に復讐、家父長制よりもさらに根底にあるテーマとして「戦争」を読み取れる。劇中にモノローグで言及される戦史は、マッドマックスという寓話と現実が間違いなく重なる瞬間だった。
フュリオサとディメンタスが対峙し対話する時、ディメンタスがフュリオサの事を思い出せないのは、暴力を振るう側だからだ。やけに語る彼のセリフから、その男性性と彼のストーリーを完全に掬うことはできなかったけど、フュリオサの復讐は、父権制の構図を壊す行為である前に、自身の人間としての尊厳を取り戻すためのものだったように思える。そしてそれはいかようにも今の社会に敷衍できてしまう。
ディメンタスの最期は、復讐の連鎖を生の連環につなげるイメージだ。
やったカニ

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