このレビューはネタバレを含みます
再観/
『悲しみ・・』を増長させるような「暗いタッチ」やポン・ジュノも多用する「雨」が
全編クッソやかましく説教臭い
Greed(強欲)なら文学的大義をなぞるだけのコッチより
前回観た
無計画に金に溺れる個人(萩原健一が初めてなぜヌキん出た役者だったか初めてわかった)
や
退屈な中流意識で他人にレッテル貼りをし自身の清廉潔癖を偽装する大衆
を描いていた誘拐報道の方がGreed(強欲)ブリが顕著に描けていた
ただ終盤
「論理で事件から距離を置いていたモーガン・フリーマンが無造作にナイフを取り出し剥き出しに的目掛けて投げる」
事件からの【心的侵食】
と
「ED【大円団】へ向かう車中でのブラット・ピットとケビン・スペイシーのヤリ取り」
(ここだけ雨降らせていない、と言うことを考えるとこの「緩急」こそがデヴィット・フィンチャーが考えたグウィネス・パルトローと身籠った子供の【真の地獄】をブラッド・ピットと共に観客に味わってもらいたかったのかな〜とも思う)
この場面がこの映画の【肝】なんじゃあないかな、
系譜図的にはバットマン ダークナイトの『予告編』でもあるような人間一人一人が保ってる『心の闇』を描いた映画ではあるが
ホモレイプで訴えられながらも
被害者が訴えを取り下げたり
携帯記録を証言拒否したり
無罪放免に娑婆に出ている
【ケビン・スペイシーのヤクザな水面化での動きの方が怖ろしい】。