このレビューはネタバレを含みます
ニュースで話題になっていたクリストファー・ノーラン監督のオッペンハイマーとのコラボ画像も話題になっていたが
(バービー人形と云うMADE IN USAと、と言うことは原爆は反省材料ではなく国威発揚のためのマウンティングの道具なのだな、と言うことが明らかになったのは得策だった)
●スーパーマン、ドラえもん:社会の公序良俗や相手への全能的援護
バットマン、ゴジラ:社会を憎悪により破壊し尽くす
など
なにかしろの「対象」がある中にフィクションアイコンを投入しその化学反応を物語にするのが『通例』ではあるが
「対象者」がおらず(セルライトの棄損を施した親子は登場はするにはするがなにかしらの援護や破壊をするわけでもなく、ただリアルワールド→バービーワールドへ連れて行きバービーの製造元会社の会社特有の全体主義共々現実と虚構のコントラストを浮かび上がらすためだけの装置的役割)
『人間にとってのアイコンとはなんぞや』
的探究物語を自分が知ってる映画、ドラマを知らず
興味をもち鑑賞
「死」「架空の存在」と言う「鍵」により
『時間』を自分に課し永遠に生きていられるフィギュアの世界との断絶を行いパラレルワールドを行き来し
『継承』を行うことにより自分とは違う別個の生き物を創造することによる人間回帰を行う
「死」⧣『時間』
「架空」⧣『継承』
と言うところは
さきほどの『アイコンとはなんぞや』に対する回答はまぁされていたように思う
ただ「女がアイコンを求める理由」がバービーを持っていた娘の母親が迫力満点で独演説するんだけど・・・・なんかちがうな・・【洗脳】と言うキーワードで【全て男のせい!!】な丸投げ感はこの映画が女性監督だからか、自分が男だからか・・・どちらにしろピンと来なかった
そしてライアン・ゴスリングが初めマーゴット・ロビーのサブキャラ的相槌打ちだけかと思ったら
後半にかけて台頭し始め
ニョキニョキ映画を侵食喰い始め
男性優位な帝国主義的見解に逝き始めた時には
・・・なんで???なマーゴット・ロビー目当てな俺からすると
???な展開だったけど
ほぼインダストリアルな舞台芸術的背景で描かれるこの作品が
一転!
なにもないドリフ大爆笑なエンディングのような「人海のみ!」な体操、ミュージカル演出の展開した時は!
ある意味震えた笑
前回出ていたラ・ラ・ラ・ランドもそうだけどライアンは清順的舞台装置な監督が好きなのか、たまたまなのか・・
この男性優位などと言うどうでも言いコンテンツパートはこの舞台装置を生かすためにもこの映画では重要(笑)
最期マーゴット・ロビーを人間に移すためのバービーの生みの親との虚空な伝承も8割型占めているこのインダストリアル感が効いている。