目的地までの長い距離に伴う時間と、喫煙に伴う深呼吸が傷を癒す。
まずオープニングカットの美しさと、見たこともない村上春樹著「ドライブマイカー」の装丁か扉絵でも見ているかのようなすこし現代らしくない古めかしさを感じた。
後景がだんだんとぼやけて「音」のシルエットにピントが合っていくのだが彼女は逆光で文字通り真っ黒に影の落ちたシルエットなのでコントラスト差だけで遠くの空がぽかんと浮かんでいる。
これは気圧の変化で耳が受ける負担を目で見るでもなく音を聴くでもなく察知する感覚に似ていた。
専属ドライバー役として現れた三浦透子さんの「渡利みさき」の風貌がNight on Earthでウィノナライダーか演じたタクシードライバーのようだと思った。グレーのカバーオールに薄手のフランネル、ストレートカットのパンツにコンバース のハイカット。可愛らしく見せるための"メンズライクファッション"ではなくちゃんとメンズのファッションをしている女性って本当に稀少で、街の中で見かけると時が止まったかのように釘付けになってしまうのだけど「みさき」が登場した瞬間もそれと同じだった。
音さんが家福に語らなかった続きを高槻にならば、彼とならば紡げたストーリーが意味することとはつまり彼が言う通り、「知るためにもっと深い関係を求めた」ことと同じく、創作のための手段にすぎなかった。そしてみさきの言う通り何も矛盾はない。
『寝ても覚めても』の最後に導き出された「それでも生きていく」をより太い線で大きく囲むような、否応なしに包み込んでしまうような映画だった。
ただし、傷は残したままで。それでも生きていく。