ナガエ

戦火のランナーのナガエのレビュー・感想・評価

戦火のランナー(2020年製作の映画)
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もしかしたら嫌味な言い方に受け取られる発言かもしれないが、こういう「物語」を背負った人間の発するメッセージは、やはり強い。

一応書いておくが、嫌味のつもりはない。

例えば日本では、羽生結弦が東日本大震災で被災したり、田中将大が震災後の楽天イーグルスで東北の希望となった。

これらは、本人が望むと望まざるとに関わらず、勝手に付与されてしまうものだ。

その「物語」を、振り払いたいと感じる人もいると思う。そしてそれは、決して悪いことではない。誰もが災害や国を背負わなければならないわけじゃない。そういう、分かりやすい「物語」のメガネで見られたくないという思いもあるだろう。アスリートに限らず、自分に図らずも付与された「物語」と共に生きなければならない理由はない。

そう思いながら、一方で、その「物語」を自らの力に変えようとする人間の凄まじさみたいなものには打たれることもある。

【走りきれたとしても、ゴールラインを越えたのは僕じゃないんだ】

グオルは、独立したばかりの祖国のために走る。彼は、自分がゴールラインを越えたのではなく、戦火の中で今も苦しむ祖国の人たちみんなと共に越えたのだと考える。

彼がそれを背負わなければならない理由はない。しかし彼は、

【神に与えられた使命を今こそ果たす時がきた】

と自らを鼓舞する。

8歳で両親と離れ、戦場から遠ざかった。しかし頼る者もおらず、4年間放浪生活を続けた。その過程で一度、銃を突きつけられ、他部族に誘拐されている。後に彼は、軍に入る。そこで知り合った人間に、うちで仕事をしないかと持ちかけられる。しかし、条件は嘘だらけだった。やがて彼は足を縛られて監禁されるようになる。

そんな現実から逃げ、なんとか生き延びるために、彼は走るしかなかった。

【南スーダンを出た時は、もう二度と走らないと決意した。走ることは僕にとって、生き延びる手段だったから】

そう考えていた彼は、様々な人の後押しを得て、ランナーとしての才能をめきめきと伸ばしていく。そして、1万メートル走からフルマラソンに転向、初めて走った大会でオリンピックの参加標準記録を突破した。

彼がそうまでしてオリンピックを目指したのは、少し前に、彼の母国が「南スーダン」として独立したからだ。彼がまだアフリカにいた頃は、「スーダン」という国の北部と南部で長いこと内戦が続いていた。彼はその戦火に巻き込まれるようにして、母国を追われることになる。そして、彼がランナーとして力をためている頃、祖国は独立を果たした。つまり彼は、「南スーダン初のオリンピック選手として、祖国に勇気を与える存在」になれる立場にいた。

だからこそ、フルマラソンに転向したのだ。

しかし、状況はそう簡単ではなかった。「南スーダン」は独立1年未満の若い国であり、国内にオリンピック委員会も存在しなかった。IOCが示した選択肢は2つ。「オリンピックに参加しない」か「スーダンの選手として参加する」かだ。

彼はどうしたか?

どちらも断った。それはそうだろう。自分を難民という立場に追いやった原因となった「スーダン」の代表として走ることなど、彼には考えられなかったのだ。

オリンピック開幕の8日前。彼の仲間の一人の働きかけで、彼の苦しい状況がアメリカの新聞の一面に載った。

そこから事態は大きく動き出すことになる。彼は、個人としての参加資格を特別に認められることになる。

と、彼を取り巻く状況は、非常にドラマティックだ。誤解を恐れずに言えば、とてもフィクション的で、こんなドラマみたいな展開が本当に起こるのだなぁ、と感じさせられた。

しかし、個人的にもっともフィクション的で、ドラマ的で、かつ醜悪だと感じたのが、南スーダンの陸上連盟だ。

そもそも、グオルのお陰で南スーダンが注目されている。彼は、国内のオリンピック委員会の設立のために奮闘したそうだが、恐らく、陸上連盟の設立にだって携わっているだろう。

しかし、そんな陸上連盟は、IOCがグオルに奨学金を給付すると発表した時、「必ず陸上連盟に報告しなさい。報告せずに奨学金を受け取ったら出場停止にします」と通告する。そして本当に、グオルを出場停止処分にしたのだ。

信じられない。

グオルではない別の人物が、「南スーダンの陸上連盟は腐敗していて、金儲けのことしか考えていない。陸上連盟が奨学金を受け取ったら、恐らくグオルは一銭も受け取れないでしょう」と語っていた。

凄い世界である。祖国のために、怪我や不調に苦しみながらも練習や大会に奮闘しているグオルの想いを踏みにじる行為だ。

【(個人での参加なので)ユニフォームは悪いが白だ、と伝えた時のグオルの返事は、実に印象的でした。「大丈夫。祖国はいつも心にあるから」と】


映画の後、トークショーが行われた。配給会社の方と、元JICA職員で南スーダン事務所長の方が登壇した。元JICAの方は、人前で喋ることにとても慣れているのだろう、よくある映画鑑賞後のトークショーと比べて、非常に興味深く感じた。

元JICAの方は、2年間南スーダンに住んでいたそうで、現実に詳しい。映画の中で語られていたが、南スーダンは独立後も内戦が勃発し、継続している。北スーダンと戦っている時には仲間だった者同士だが、64の遊牧民族が入り交じる環境は、やはり複雑だという。しかも、大統領が35%を占めるディンカ族出身、副大統領が25%を占めるヌエル族出身で、この二大巨頭が覇権争いのような形で争っているのだという。

戦争というのは、なかなか難しい。

東京オリンピックに向けて、南スーダンの選手は既に日本で合宿を行っているという。というか、去年の開催予定に合わせての合宿が現在も継続しているので、既に1年半ほど日本にいるという。これも元JICAの方の計らいで、群馬県の前橋市が南スーダンのホストタウンと決まり、今もそこで練習に励んでいるそうだ(ただし、グオルは背中の怪我のため、東京オリンピックは断念したという)。


映画の最後に、こんな字幕が表示される。

【グオルは、スーダンから逃れた難民400万人のうちの1人である。
さらに、世界中に存在する6000万人の難民のうちの1人である】

難民の受け入れ数が他国と比べて極端に少ない日本には、「難民」という言葉にあまり馴染みがない。最近は、入管法の不備で難民受け入れセンターにいた女性が亡くなったとか、入管法の改正で混乱の続くミャンマーに強制送還されてしまうかもしれない人たちが多く出るかもしれないなど、日本という国家にとって恥ずかしいニュースとして耳にすることが多い。

東京オリンピックが開催されるか、未だに不透明な状況ではあるが、スポーツという非常に身近なきっかけから「難民」というなかなか身近には捉えられない現実を知るきっかけになる映画だと思います。そんな難しいことを考えなくても、非常に心に迫る、グッと来る映画です。
ナガエ

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