YAJ

モーリタニアン 黒塗りの記録のYAJのネタバレレビュー・内容・結末

3.5

このレビューはネタバレを含みます

【ばいなら】

 予告を見ただけで「アメリカの闇は深い」という感想を抱くと予想はしていたが、その通りのお話。
 それを自浄作用でアメリカの映画人が作ったのかと思ったがBBC Filmと出て、あぁ、そうかと。「Red Joan」(2018)、「Official Secret」(2019)とこのところ自国の闇を白日の下に晒している印象がある英国が他国の例にも口出した?!

 副題にある「黒塗りの記録」は、主人公のモハメドゥ・スラヒ氏のキューバ、グアンタナモ基地拘束中の手記が、出版物になったにも関わらず黒塗りだらけだったことからでもあるが、公の記録の隠蔽、改竄、非公開の体質も揶揄してることは一目瞭然。
 これは対岸のことではなく、我が国日本でも昨今記憶に新しい出来事かと。お国は変われど不都合は隠蔽したくなる組織の悪しき習性の根深さを思い知らされる。

 とは言え、この作品は国家の闇や隠蔽体質をあげつらうものではなく、それぞれが持つ人間としての特性の素晴らしさに焦点を当てたのであろう製作意図を強く印象付けられた。逆に、悪しき側も、それを、組織だ国家だと大括りにするから分かりにくくなることがあるのかもしれない。糾弾するならば、個人なのかもしれない。

 本作で唯一と言っていい、体制側で個人名が出たのがラムズフェルド氏だ(釈放を遅らせたということでエンドロールでオバマ大統領/当時の名も出るには出たが)。長期間の拘束も、過酷な拷問も全てラムズフェルド国防長官(当時)からの指令という描かれ方がされていた。
 惜しむらくは、氏は今年(2021年)6月に鬼籍に入られたこと(享年88歳)。この実名での告発を映像にできたのは、そんな事情もあってのことか。言ったところで責任追及は出来ないから? あるいは故人からの訴えもないから? 死人に口なしは、どちらからの思いだろうか。

 20年後の真実。それなりに重いものではあるけれど、そこには時間の重なりも加わってのことなら、事実は陳腐化する前の新鮮な状態のままでの開示が望ましいのは言わずもがなだ。



(ネタバレ含む)



 そんな責任追及はどうやら本作の狙いではなさそうというのは、力量の伴った俳優陣の熱演を見て強く感じた。

 “See You Later, Alligator!”

 主人公モハメドゥ・スラヒ(タハール・ラヒム)が度々口にする言葉だ。詳しくは知らないが、チャーリー・ブラウン云々という台詞が前後にあったので、漫画かアニメなどで見聞きして覚えた英語表現なのだろう。子どもが使うようなふざけた挨拶で、明るく周り(と言っても看守や取調官たちだが)とコミュニケーションを取ろうと涙ぐましい努力をしたに違いない。過酷で絶望的な境遇を14年もの長きに亘り耐えきれたのは、彼の類まれない知性と機転と、この楽天的なポジティブさがあってのことではなかろうか。
 エンドロールで流れる実物のスラヒ氏の映像を見て、その思いをいっそう強くした。ラヒムが演じた孤高で芯の強い一面もあったろうが、むしろ愛嬌ある人柄で乗り切ったのではと思われた。それもまた個性。

 制作陣に名を連ねる缶バッチ氏も、わざわざ悪役を演じるために出演したのかと最初思ったが、演じたスチュワート・カウチ中佐は権力の中にあって信義の人。下手人を挙げろ!と躍起になる組織の中で、証言の取得方法に異を唱え(70日間に及ぶ拷問の後の証言)その有効性を否定するのは実に勇気ある行動。9.11後のあの国の世相の中で、だ。
「誰かが9.11テロの報いを受けるべきだが、誰でもいいわけじゃない」という彼の言葉が心に残る。
 そして、その説得に突き動かされ、機密文書を彼にリークする友人が、実はこの事件の一番の功労者かもしれない。これも勇気あるいち個人の行動だ。

 そして、スラヒ氏を弁護するナンシー・ホランダを演じるジョディ・フォスター。信念の人、執念の人というのを、毅然とした表情、態度、声のトーンで見事に表現していた。
 スラヒが9.11に対して黒か白かではなく、不当な逮捕・監禁を告発するというブレない信念が素晴らしい。故に、スラヒの罪を認める供述書を見て揺らぐ助手テリー(シャイリーン・ウッドリー)に冷徹に「手を引け(Get Out!)」と言い放つ姿が素晴らしい。
 でも、これはきっと後からテリーをまた呼び戻すのだろうな、というのは予想ができた。冷徹でもあり温情派でもある彼女の人間味を見事に描いていた。

 斯様に人物描写が素晴らしく、役者もそれに応える演技を披露し、実に見応えがあった。

 スラヒ氏のキャラクターを端的に表現していた「See You Later, Alligator!」。それへの返答は「In a while, Crocodile」だと、ナンシーがテリーに教えるシーンがある。要は、若い世代は、このひと昔前の古い小ネタが通じないということだろう。
 これ、日本だとなんだろう? 字幕では、あまりそこに気配りがなく、「また会おう、友だち」とイマイチ、意の伝わらない訳が付いていた。

 「ばいなら(by斎藤清六)かな?」と私が問えば、
 「そんなもん、今、誰にも通じんわ!」と奥さんに言下に却下された(笑)
YAJ

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