るるびっち

竜とそばかすの姫のるるびっちのレビュー・感想・評価

竜とそばかすの姫(2021年製作の映画)
3.4
12年前、鮮烈だった『サマーウォーズ』。
それと似た設定の本作は、今では古い印象すらある。
この12年で、仮想空間の話は乱造された。
今更、田舎の内気な女の子がネットでスターになる話とは・・・
古いと否定しつつも、その印象についつい引きずられてテーマを読み違えてしまう。

田舎の内気娘が、ネットでスターになる話ではない。
母の行為を許せなかった娘が、自分も母と同じ「無謀な人助け」をすることで母を理解し、他人との絆を取り戻す話だ。

批判に多い、女子高生をDV男の元に独りで行かせるのは無謀だという意見。
その無謀な行為こそ、主人公のすずに必要なカウンセリングなのだ。
無謀な人命救助活動で亡くなった母。
劇中、ネットで「ヒーロー気取りの浅はかな行為」と叩かれる描写がある。
他人の子を救おうとして死んだ母の行為を、理解できない主人公。
自分も無謀な行為をして初めて、母の気持ちが解る。

それでも、虐待が解決するとは思えないという意見。
実はネットも虐待も、すずのカウンセリングに必要な道具立てに過ぎない。
この話はネットの話でも、虐待の話でもない。
ひとりの少女のトラウマを解決する話だ。
ネットも虐待も枝葉末節の部分なのだが、むしろそちらの方が際立て見える。だから皆、そこに引っ掛かってテーマを見失う。
テーマが飲み込めないから、不自然さばかりに目が行く。
実はテーマに沿って、無謀は無謀で解決すると纏めているのだが、「独りで上京してDV対決って無謀やろ」とツッコミが入る始末。
だから、ワザと無謀をやってんの!!
なのに劇中と同じく、「浅はかな行為」とレビューで叩かれる皮肉。

ネット内で「竜」が悪人として叩かれる。
行き過ぎた正義感のジャスティスたちに煽られ、印象だけで竜を叩くネット民。実際にはそれ程悪いことはしていない。闘い方が汚いというだけ。
決めつけと煽りと印象に、どれほど人々が操作されるかを表している。
所が映画が余りにビジュアルと歌の力が強いせいで、前述の古いテーマ(ネットでスター)の話と印象づけられた観客には、隠れたテーマである母との葛藤が腑に落ちない。
結果、ここでも劇中の描写と同じく、印象で誤解される皮肉。

結論。
劇中で細田監督が描いていること。
①ネット民に「無謀な救出、浅はかな行為」と叩かれる亡き母。
②印象だけで叩かれる竜。

そして、描いたことと同様の映画批評を喰らう近似性。
①「後半の展開が無謀、ひとりで東京行くの無謀」
②歌とビジュアルの印象が強いせいで、母のテーマが解らなかった。

細田監督にとっては悪夢だろう。
自分で指摘したネット民の批判パターンを、そのまま喰らっているのだ。
なんだか不思議な結果だ。
ネットと現実のリンクを描いたら、作品内批評と現実批評がリンクする経験をしたのだ。うつ病にならなきゃ良いが。

本当の野獣は「竜」ではない。
野獣は醜い外見と美しい心という二面性を持っている。
本作で二面性を持っているのはすずだ。
歌姫としてのベルと、「月の裏側」のような光の届かない存在。
大人しい良い子と、闇を抱えて父とも話せない子。
そして、そばかすを野獣のように醜いと卑下している。
野獣が愛の力で王子に戻ったように、ベルとしてしか他人と関われなかったすずが、正体を表すことで他人と関わろうとする。
その時に、今までひとりぼっちだと思っていたのが、現実世界でも他人に見守られていたと気付く。
だから、たった独りで上京しても心のネットには父もコーラスのおばさんたちも忍も横に居たのである。
ネットであれリアルであれ、見えない繋がりこそ他人との繋がりだから。そしてすずは、亡き母ともその瞬間繋がれたのだろう。
野獣が王子に戻ったように、すずは本当のすずに戻れたのである。
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