otomisan

オートクチュールのotomisanのレビュー・感想・評価

オートクチュール(2021年製作の映画)
3.4
 こころ温まる話というなら何も記すには及ばないのだが、ディオール版おとぎ話のめでたしめでたし感がさり気無さそで効き過ぎてないか?

 ディオールといえばモード界の頂点で、文化大国フランスの一つの顔である。そのVIP御用達、オートクチュール部門を支えるお針子の新人にスカウトされたのがムスリム娘とひったくり盗コンビを組む貧困白人娘ジャドだという、そんなのは別に構わないのだが、彼女のディオール入りが叶って、ついでに、リストラが決まってたお針子ボスのエステルは何となくハッピー・リタイアメント、移民団地がメリー・Xマス&ハッピー・ニューイヤーの最中、ジャドの要介護ママは奇跡の自立で、ムスリム娘とその周囲では空気も労働観も微妙な変化が起きて、と好いこと尽くめだ。もちろんそれらもおとぎ話なんだから結構だ。ただ、根本の意見である、労働は奴隷奉仕ではなく働く自分を映す鏡であり、自分の長所も短所もそこに現れ、それらを労働を通して生かし、矯める事で成果をよりよくし、かつ自分自身もただして変えてゆく方途にもなる。この、ジャドと反奴隷・反社会的ムスリム娘へのメッセージとしてそれもまた結構だが、それをディオールの寛容さが旧悪を忘れ、善だけを掬い取り抱擁してくれる、みたいなのがどこか気障りなのだ。つまり、この映画の、ディオールは社会の歪みを撓める活動に協賛します宣言的骨格が「臭い」というのだ。
 
 ではどうだったらいいのか。ディオールを引っ込めればいいのか、おとぎ話を引っ込めればいいのか、どっちも引っ込めば身も蓋もない結果になるだろうが、少なくとも何十万、何百万人中ただ一人の成功事例めがけて希望をもって来たれなんて云うジャドのシンデレラ物語のめでたしめでたしの臭みはなくなるだろう。
 自らを高める意識を築いて「奴隷」ではなくなる代わりに、労働者のVIPであるディオールのお針子のボスたる未来を予想させるジャドがかっぱらい盗から栄進する陰で、残りの連中はどこに向かえばいいのだろう。巨大な資本を背景に、フランスの政策を体現し、また陰でそれを支持しているであろうディオールが救い上げるのは唯一誰より優れたジャドだけであるのはモード界の雄として仕方がないが、残りすべての連中は、ユダヤでもない、キリスト教徒でもないのに、ジャドを見習い、フランスの同化政策の軍門に降ればセイフティネットでよきに計らうとでもいうのだろうか。いいたいことは手前勝手なりに分からいでもないが、夢の中、雲の上、ディオールもおとぎ話も存在しない同化政策対象者に向かって、藪をつついて蛇に嚙まれそうなのではないか。
otomisan

otomisan