ナガエ

ひらいてのナガエのレビュー・感想・評価

ひらいて(2021年製作の映画)
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内容に入ろうと思います。
愛は、高校でも目立つタイプで、はしゃいでる系の友達と仲良くしている。しかしそんな愛は、同じクラスの寡黙なたとえに片想いをしている。たとえは勉強ができるがあまり周りと関わろうとしない。そんなたとえのことが愛は1年の頃から気になっている。
愛は、たとえが読んでいる手紙を盗み見る。それは恋人からの手紙だった。そう、彼女などいないと思っていたたとえには、付き合っている相手がいたのだ。そしてそれは、糖尿病を患っている、学校でもさほど目立たないタイプの美雪だと分かった。
愛は美雪に近づいた。一緒に映画を観に行って、カラオケをして、そこでキスをした。
たとえには、近づけない。だったら……。
たとえの恋人を奪えばいい。
というような話です。

結構好きな映画でした。そもそも僕は、「歪んでいる人」が大好きなので、愛のような結構「ヤバい人」は好きだったりします。実際に近くにいたらどう感じるか分からないけど、遠目に見ている分には、愛のような人は非常に興味深いし、その歪み方に興味がある。

しかも、この物語はなかなか展開が上手くて、愛は最初から美雪を奪おうと思ってたわけじゃない。愛と美雪の会話がすれ違う場面があって、その食い違いを上手く利用して、「そうか、たとえが自分のものにならないなら、美雪を奪ってしまえばいいんじゃないか」という発想になる。

愛がまさにその発想を頭に浮かべただろうシーンは、メチャクチャ良かったなぁ。普通は、そんな「狂気の境界線」を飛び越えないものだけど、愛はそれをあっさりと飛び越えてみせる。その異様さ、歪みが、「可愛い女の子だから」という理由でなんとなく中和されてしまう感じも面白いし、この映画の世界の中では全然成立している。

というか、この映画が成立しているのは、「木村愛」を演じた山田杏奈の顔にあるなぁ、と思う。顔だけにフォーカスを当てるのは失礼かもしれないけど、彼女のあの、無表情でいる時の何を考えているんだか全然分からないような、それでいて「クール」という冷たさを感じさせるわけでもない雰囲気は、「木村愛」という人物の、普通には成立し得ないギリギリの言動を、絶妙に成立させているなぁ、と。

そう、とにかくこの「木村愛」という人物を成立させるのは、かなり難しいと思う。ある場面で愛は、

【今この瞬間でさえ、たとえと話せているのは嬉しいよ。たとえの視界に入っているのが嬉しい】

と言う。これは、状況を踏まえるとなかなか異様なセリフなのだが、この映画ではその異様さはいくぶん中和されている、と僕は思う。普通ならドン引きしてしまうような場面だろうが、そこまではいかない。そしてそれは、ただ可愛いというだけではない山田杏奈の顔がかなり影響しているように思う。

もちろん、ドン引きしないでいられるのは、たとえもまたある種の狂気を孕んでいるからだ、とも言える。種類は違えど、どちらも「狂気」を内包する2人が向き合っているからこそ、どちらか一方の狂気だけが目立つことがない、という風にも言える。

まあでも、やはり、この映画に山田杏奈を起用したのは、大正解だっただろうなぁ、と思う。

正直なところ、愛の行動原理にもたとえの言動にも、そこまで共感できるわけではない。というか、彼らのことを”正しく”理解するためには時間が足りない、という感じだろうか。原作は読んでないから、映画と小説とで違いがあるのか分からないが、愛にしてもたとえにしても、感情や価値観が表に出る機会が少なく、かつ、その感情や価値観が複雑なので、短い時間ではなかなか入り込むことが難しい人物だなと思う。

そして、中途半端にそれを描こうとしないのが、この映画の良いところだと思う。

世の中に人間はたくさんいるので、愛にもたとえにも「共感できる」という人は一定数いると思う。でも、恐らくだが、大抵の人は「よく分からない」という感覚になるのではないかと思う。

そいてこの映画では、最後までその「よく分からなさ」を貫いている。愛がなんでそんなことをしているのかも、たとえがなんでそんなことを言うのかも、イマイチ理解できない場面が多いが、この映画は、それらを理解させないままで成立させようと試みているように僕には感じられた。

愛にしてもたとえにしても、自分がどうしてそんな言動をするのか、きちんと説明できないだろう。上手く捉えられていないのだと思う。そして大体人間なんて、そんなものだ。説明できる部分なんてごく一部だし、全部説明できるなんて人間がいたら、それこそたとえが言うように「嘘をついてる感じがする」と思う。

特に愛は後半、どんどんと崩れていく。テストを白紙で提出し、授業中突然教室を飛び出したりする。笑顔を作ることも止め、死んでいるように生きている。

そして恐らく愛自身、自分が何に対して何を感じているのか、よく分かっていないのだろうと思う。何か頭に浮かぶ行動があって、それを実行すべきか悩んでいるとかでも恐らくない。彼女は、何を悩めばいいのかさえ分からない、という錯綜とした状態に陥っているのだろう。

そして映画は、ある意味では最後までその「錯綜状態」のまま終わる。そして、それでも作品として成立していると思えるから、凄いものだと思う。

この映画では、バランサーとして美雪が登場する、とも言えるかもしれない。美雪は美雪で、捉えようによっては「狂気」を孕んでいるとも言えるが、基本的には彼女はこの映画において「真っ当側」に立つ人間として描かれている。美雪という錨のような存在が、「狂気」そのものと言っていい愛やたとえとの関係に対して重しとして機能しているような感じがあって、この3人で絶妙なバランスを取っている感じがした。

そういう意味で言えば、この3人以外の登場人物は全員「モブ」に見えると言ってもいい。僕でも顔を知っている俳優も結構出てくるのだが、存在感という意味で言えば、この3人以外は全員「モブ」でしかない。映画では「3人の関係」というのは存在せず、「愛とたとえ」「たとえと美雪」「美雪と愛」という個別の関係が3つ存在するに過ぎないが、それらをまとめた「3人の関係」でこの世界がほぼ埋め尽くされているのも面白い。

ちなみに、久々に「観客が女子だらけ」という映画だったが、それは、たとえ役の俳優がジャニーズだからなのだろう。女子まみれで凄かった。
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