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偶然と想像のotomisanのレビュー・感想・評価

偶然と想像(2021年製作の映画)
4.1
 三組の人々に訪れる偶然亊が寝た子を起すようにして想像を掻き立ててくる。それは思いもしなかったろう行動を解発させ結果を導いていくのだが、それは望んだことであったりなかったり、不幸だったり幸いであったり、しこりを新たにしたり恨みや苛立たしさ、正体不明な希望のような不可解な雰囲気を醸成させたりする。それら三組の人々は互いに交わることはないだろうが、それが幸い。出会えば、たがいに目を背け合うことになると思う。

 第一話「魔法(よりもっと不確か)」ではモデルとヘア担当が現場で打ち解けるものの、一人の男を巡って、モデルは元カノ、ヘア担は今カノと知れる。互いを疎んじて斬り合うように離れたであろうモデルと男、二人がそれでも互いを忘れられずにいる苛立たしさともどかしさから、よりを戻す暴力性が元カノにおいて勝るのか、想像の中ではそれが敗北を招くと映る一方で、その開陳はいまや仮想敵たる今カノへの十分な打撃とも分かっている。
 分かっていながら清々しくは振舞えない自分もよく知っている。しかし、男と今カノがどうなろうと自分が一人また弾き飛んでゆくのを承知でもそうせずにいられない。いやな自分を噛みしめるのが生きる倣いである。

 第二話「扉は開けたままで」は学士入学してまで仏文を学ぼうという、夫に子供もいる女を、受取ようによってはその浅ましい振る舞いに、一見して気のない風の態度と口調が醸す鬱陶しさをさらに纏わせることでより暑苦し気に映す。
 これを梃子に監督は女のイロでもある男の陰湿な恨み事を晴らす道具として女に道を誤らせる。女自らも関心を寄せる恨みの相手、仏文教授であり芥川賞作家にハニートラップを仕掛ける様子が教授の受賞作品の一節、濡れ場の朗読を伴って続くが、実に鬱陶しい。この罠が現場において空振りするのは女の醸す疎ましさ以上に教授の臈長けたところに与るというべきだが、女は陰湿男も預かり知らぬところで教授と女自身と家族まで滅ぼす間違いを起こす。
 世間から身を引いた教授の消息知れずはさておき、ひとり身となった女と恨みを晴らしてもらった男の年を経ての再開が静かにストレスフルに進行する先、結婚間近で女が羨む出版編集の仕事に就くという男の一人勝ちを恨む思いも顕わにしながらも自らはやはり何もできないと承知している女が、それでもこの男の唇を奪うのかと、そのいじましさには打たれる。最悪の結果に輪をかけた再会をこの毒で塗りたくる事にそれきり退場する女の向ける先のない憂愁が心に靠れる。

 第三話「もう⼀度」は前二作の毒を雪ぐものが欲しい中、ひときわ複雑な心模様が描かれ監督を嫌う者にとっての決定打となるだろう。
 しかし、これほど人のこころのおもしろさを語る話も稀だ。ひとは相手に、望むものばかりを見て取り勝ちで、それが間違いであっても思いの強さがそれと気づかせない。その一方で、間違われた相手もまた、当人独自の異なる思いから間違えている相手をこれまた別人と知りつつ自身の思いの人物であるかのような錯覚を幾分進んで受け入れてしまう。
 こうして同床異夢なふたりが、異なる夢を重ね合わせながら二人で一人な相手を別人と承知で分かち与え合うことになる。このようにして、互いに叶わぬ思いを抱きながら新しい出会いの中に空振った失望を打ち消し合うのである。このふたりが再び会おうとは思わないがそれでいい。開いていたことも忘れていた穴を塞いで互いに稀人同士を感謝して終わる。なさそうで確かにないだろうこんな事を羨む心がそれを疎んじるのか、ないかもしれない事にめげず、あってもいいじゃないかと思うことを徳に感じればその夜は寝つきがいいかもしれない。
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