鹿苑寺と慈照寺

対峙の鹿苑寺と慈照寺のレビュー・感想・評価

対峙(2021年製作の映画)
4.3
生徒による銃乱射事件で多く死者を出し、加害者自身も自ら命を絶った。それから6年後、息子の死を受け入れらないペリー夫妻は教会の個室で加害者の両親と会うことに。

まず初めに海外には修復的司法という制度があるらしい。不勉強ながら知らなかった。気になる人は調べてみてください。

鑑賞前にまず感じたことは、
これってやる意味あるのか???
本当にお互いのためになるのか???
ということ。

互いの近況で和やかに話が進むものの、ほんの些細な言葉や言葉遣いが澱となって積み重なってくる。核心に触れたとき、お互いの心は事件に引き戻され、ヒートアップしていく。

被害者遺族は、事件は防げたのではないか?なぜ事件は起きたのか?と加害者の両親にぶつける。
被害者の両親は、息子に問題はあったがそれでも最善は尽くしたと続ける。

僕自身はどちらの側の立場も経験していないし(ほとんどの方がそうだろう)、これから経験する確率も極めて低い。被害者側のなぜ息子が死ななければいけなかったのかという悲しさも、加害者側のどうして息子があんなことをしたのかという苦悩も理解できる。だから鑑賞中はずっと苦しい。だから、やはり観ていてこう思ってしまう。

本当にこの対話を続ける意味があるのか?
お互い苦しいだけではないか?

ただ、本作は生きる意味と価値に焦点が向いたとき双方に救いが訪れる。赦す、赦されるという過程を経て、両者が前を向ける展開がとても良かった。

本作はBGMもほぼなく、ひたすらに対話によって物語が進む。だから、登場人物の言葉遣いや表情がとても重要。印象に残ったのは、加害者の父親の振る舞い。被害者の母親と加害者の母親は互いに「また会おう」と共鳴し合っていたけれど、加害者の父親は対話が終わったら早めに引き上げようとしていた。その振る舞いは、父親がただその場を立ち去りたいだけではなく、もちろん父親にとっても対話には意味があったと思うので、おそらくどれだけ和解したとしても根幹は被害者と加害者という立場を理解しているからもうこれ以上は会わない方がいいのではないかと思っているように感じられた。父親の振る舞いに嫌な感じはなく、僕もどちらかというとその方がいいと思っている方なので、父親の振る舞いにはとても納得がいった。

1点だけ気になるところ。教会職員の女性の振る舞い。
本作はとにかく登場人物の立ち居振る舞いが重要になってくる。その中にあってあくまで場所貸しをしているに過ぎない教会職員の出しゃばりが鬱陶しかった。冒頭のお菓子や飲み物を用意する件も鬱陶しかったが、特にラストの花を新聞紙に包むか包まないかのやり取りが本当に鬱陶しかった。鬱陶しく思っているのは僕だけではなく、登場人物もそう思っているように見えた。「もういいですよ。大丈夫ですから」とやんわり断っているのにしつこく言ってくる教会職員には辟易とした。そこは相手の心中を推し量って、一度断られたら引くところだろう。やけに長いこのやり取りは本作の「登場人物の心情を推し量る」という核となる部分の邪魔をしていると思う。そこだけが本当に残念だった。

以下は個人的なメモ
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これ意味あんのか?と思うものの彼らには必要なこと。

自分が今後こんな経験する可能性は極めて低いし、経験もしてないから理解が難しい。

受け取られない花

互いの主張

価値の話

加害者側:息子にも生きている意味はあったはず。
被害者:息子がいなくなってしまった。ただそれだけ。そこに意味が見出せない。

心を癒すという意味では会合自体には意味があったと思う。ただ、両者が今後も関係を続けていくのは傷を思い出すことになる気がする。これを契機に前を向くために。
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