takanoひねもすのたり

やすらぎの森のtakanoひねもすのたりのレビュー・感想・評価

やすらぎの森(2019年製作の映画)
3.6
世捨て人達のそれぞれの終活と余生の選択。

主人公は80代のアウトロー、社会から隠れて生きることを選択した男性達。
画家のテッド、渡りのギター弾きだったトム、家族から離れて自由に生きることを選んだチャーリー。
ケベックの広大な森林地帯の片隅にある狩猟小屋をDIYして、それぞれが程よい距離感で生活をしていたところに、不意に画家のテッドが年齢による心臓発作で急死。友人の死を看取った残された2人は否応なしに自分の余生と死期への準備に考えがいく。
そんな折に、16歳の時に精神科病棟に入院し60年間外に出たことがないジェルトルードがやってくる。
そして時期を同じくして地元の美術館から依頼を受けた女性写真家ラファエルがテッドの行方を探しにやって来た。

原題である仏語『Il pleuvait des oiseaux』は、直訳すると『雨のように降る鳥』
これは劇中で語られる大昔にあった森林の大火事のことで、画家のテッドはその大火事の少ない生存者。しかしこの事件で彼は世捨て人となり、心にある苦悩を何枚もの絵にして描いていました。作品は他の2人には見せずに、たったひとり向き合い……その心の裡を誰にも明かさずに逝ってしまったわけです。

何も言わずに逝った彼を尊重し放っといてやれというトムの気持ちとは裏腹にラファエルは彼のアトリエへ勝手に侵入し残された絵を見て、これを彼が絵に残したメッセージを、このまま埋もれさせることは出来ないという欲求に駆られます。

その一方で60年振りに外に連れ出してもらい、森や湖の美しい自然に生気を取り戻してゆくジェルトルード(マリー)彼女の側にはチャーリーがかまい過ぎない距離で見守っていた。
徐々に互いに距離を近づけてゆくふたり。

不思議な作品だなあと思いました。
ここに居る3人の男性は、それぞれ理由は違うとはいえ社会から逃げた人達です。
心の中に抱える屈託は様々ですが共通する点は罪悪感でしょうか。
先に逝ってしまった画家のテッドは、それを抱えて救われない心のままで去っていってしまったのだろうかと考えると一抹の哀しさがありますが、残された2人の間に悲壮感は漂いません。
ただいつかくる自分の番に思いを馳せる。

自分の死期をいつに決めるか……が、ジェルトルード(マリー)の登場で少し狂います。
彼女の姿にもう少し生きてみてもいいかも知れないと思うチャーリー。
持病が悪化して余命幾ばくもないと自覚していたトム。彼はまた別の決断をする。

あの美しい湖畔に眠ることができるならそれも悪くない……しかも友人に見守られて。
いい選択とタイミングではないかな……と自分は思ってしまいます。

またチャーリーとジェルトルード(マリー)のふたりをみていて、人を愛おしむという気持ちの動きはいつでもあり続けるものなのだなあと思ったり。
茶飲み友達的な関係ではなく、最終的にはきちんとした男女の形でふたりを描いているところが、ああそうだなあ……と、ぼんやり。

それぞれの登場人物に犬が添っていますが、彼等は主と共に逝きます。
それもまたあの大自然で暮らしていた人達にとっては至極自然なことなのかも知れません。
少なくとも自分はこのことに関して不快感は感じませんでしたが、苦手な方は注意して下さい。