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『Something Useful(英題)』に投稿された感想・評価

[たゆたう世界の観察者] 60点

友人に絶対観ろと言われたトルコの怪作。MUBIのTOP1000に突然現れたことで界隈でも話題となった(しかも現状23位)。25年ぶりに同窓会に出席しようと列車に乗り込んだ詩人で弁護士のレイラは、若い看護学生カナンに出会う。田舎の個人医院に就職面接を受けに行くという彼女は、徐々にその本当の目的を明らかにしていく。それは、知り合いの医師から頼まれたという仕事で、彼の全身麻痺の友人ヤブズを安楽死させるというもの。年長者として、弁護士として、同じ女性として、人間としてカナンを心配するレイラは、彼女の旅に同行を申し出る。レイラが詩人ということもあって、夜行列車→通り→部屋と場所を移動しながら、彼女が語り部となって世界を捉えた滑らかな詩文によって世界を綴っていく。特に列車における窓の外の世界と窓に映り込む自分の顔というショットの連続には驚かされる。厭世的だが妙に前向きな作品の中核をなす、世界との距離感を的確に描き出している。

ヤブズの家の描写も興味深い。階上の女性がチェロを弾いていて、その音色に併せて反射された光が天井をゆらゆらと揺れる。引用されているフリオ・コルタサル『黄色い花』の"Mortality"と呼応した刹那的な魅力がそこにあった。小難しい会話は途中からほぼ聴いていなかったが、多分"逆・千夜一夜物語"的な感じだったと思う。
akrutm
5.0
夜行列車を待つ駅のベンチに座り合わせたことで偶然に知り合う二人の女性を叙情的な映像や詩を用いて描いた、ペリン・エスマー監督のドラマ映画。ペリン・エスマーはトルコの映画監督で、2005年にSinefilmという映画会社を設立して自ら監督・脚本家として映画を製作し、近年注目を集めている。

まるで映画全体が芸術だと言えるような、こんな素晴らしい映画に出会うのは本当に久しぶりである。数日前にこの映画を見てからずっと余韻が残っていて、何度か見直してしまったくらいである。

25年ぶりに同窓会に出席するために、弁護士のレイラはイズミールへ向かう夜行列車を駅で待っている。たまたま同じベンチに座ったのが就職面接のために同じ列車に乗る若い看護師チャナンで、二人は列車の中で会話を交わすようになる。そのうちにチャナンはイズミールへ行く本当の目的は、就職面接ではなくて、首から下が麻痺している男性ヤウズの自殺幇助であることを語りだす、というストーリー。しかし、ストーリーそのものはそれ以上に大きく展開しない。それはあくまでも背景であって、そこに本映画のポイントはない。

本映画の特徴は「映像と詩の融合による高い芸術性」と「見知らぬ他人どうしのつながり」である。前者については、本作を見れば納得できると思うが、映像が非常に美しい。特に映画前半の列車内外でのシーンでは、車窓を使って、外部の景色と女性の表情を同じ画面にバランス良く重ね合わせた映像が多用されるのが印象的。窓ガラスに映る人物の顔を映像として映すという手法はよく使われるが、車窓から見える景色も情緒的に映し出すのは珍しい。現在の日本ではほとんど経験することができなくなってしまった夜行列車に乗ったときの独特の旅情が、夜の田園風景の美しさと相まって、深く心を動かされる。

さらに、そのような映像を背景にレイラが朗読する詩が重なり合って、さらに芸術性が増していく。実はレイラは詩人でもあり、そのことが後半に重要なポイントとなる。朗読される詩はレイラの過去を表現しているだけではなく、未来を予言するかのような内容を含んでいる。映画にはその他のアートも散りばめられていて、例えば、レイラが暖かい眼差しでグラフィティ・アート(落書き)を眺めるのも印象的なシーンである。後半の同窓会のシーンで、テーブルに着席して会話する参加者たちをパンしながら映していくロングショットも秀逸。

映画の後半では、お互いに知り合いではない三人による会話劇が繰り広げられる。このシーンを通じて感じられるのが、人間のつながりの尊さであり、そのつながりは必ずしも親しい者どうしある必要はない。様々な解釈の余地が残されるラストシーンも、三人の会話やレイラの詩の内容をどう捉えるかによって変わってくるであろう。そして、タイトルにある something useful が何なのかが明らかになるのである。

以上のように芸術的で思弁的な本作は、確かに万人受けするような作品ではないだろう。でも、こういう優れた映画がもっと日本で公開されることを個人的には切に願う。
階上のチェロを聴きながら交わされる会話が素晴らしい。