いち麦

I ~人に生まれて~/人として生まれるのいち麦のネタバレレビュー・内容・結末

2.0

このレビューはネタバレを含みます

Opで、からだの正中線を堺に左右半分ずつで性の異なるジャイナンドロモルフ(雌雄モザイク、珍しいが昆虫などでよく知られている)のチョウが飛翔していくのをカメラが追っていく。
男性として育ってきた少年・世南(シーナン)は性分化疾患の中でも極めて稀な卵精巣性性分化疾患だと思われる。本人の自覚と同意のないまま少女・詩蘭(シーラン)へと転換させられる。心の苦しみを抉り出し、見る側も自分の問題として何かしら共有できるものがあるような人間ドラマを期待していたが掘り下げ浅く残念。最後はスリラーのような演出で悲劇的な結末を迎えてしまった。 シーナンは少年であった時代には得られなかった親友を、少女になって初めて得た喜びに一時は前向きになっていたのに…。それすらも奪ってしまう救いようのない終盤展開。

主人公のような非常に稀な症例では性染色体構成だけで性を一方的に決めるのは科学・医学(発生学・遺伝学)的にも間違っているし、性別不合(かつての性同一性障害)の対処としても不適切な判断をこの医師は下している。‘90年代初頭まで優生思想に基づき本人に無断で行われていた癩病患者の断種手術の悲劇にも重なる。
時代設定は現代だと見受けられるが、であるならば医師の私欲的な誤った判断と処置がまず一番に罪が重い。子どもの心の成長を良く分かっていない両親にも非があると思った。医師が学会で非難される、両親が反省し子供の将来に全力を尽くす等の展開は全くない。果たしてこの映画、一体何が見せたかったのか首を傾げたくなった。製作の意図を聞いてみたい。

シーナン/シーラン役のリー・リンウェイは、椅子の上で片たて膝をしてゲームに興じる姿や猫背で歩く姿などの少年演技がしっくり来ていた。
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