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こちらあみ子のmimimomのレビュー・感想・評価

こちらあみ子(2022年製作の映画)
4.5
ネタバレになる可能性あります。

一度も通じなかったトランシーバー。それがこの映画のメタファーである。
トランシーバーに語りかける第一声は「こちらあみ子」、映画の題名。
「私はあみ子で、今こういう状態である」と、語りかけるも、通じたことはなかった。

ちょっと変わっているあみ子。
活発で自由で、勉強こそ嫌いだが、みんなをあっと驚かせるような発想力、行動力で周囲を惹きつける人気者のあみ子が織りなす心温まるヒューマンドラマかと思っていた。
その私の予想はまったく外れた。活発で自由ではあるけれど、ちょっと変わったどころか、、、、「変わっている子」と片付けるのが正解であるか私にはわからない。映画の中のあみ子の行動の細かい描写で「ああ、こういうタイプか」と理解できる。これは治らないだろうと。純粋であるがゆえの行動は、いろいろな場面で人を不愉快にさせていた。むしろ純粋にしか行動できないのである。一方でこのような行動を「純粋」と表現するのがふさわしいのかも私にはわからない。実際純粋なのだろうけれど。
あみ子が取る行動のどこがなぜいけなかったのか、一つ一つを根気強く言って聞かせる大人が必要だった。時として周囲への気遣いがあるように見受けられる場面もあったが、他者を気遣える人は、兄の「円形脱毛症」や、「弟の死」をあのように表現しない。たとえ小学生であっても。あみ子は周囲を気遣うことに自覚がないし、あみ子が優しいとも思えない。母親が本格的に病んでしまったあとは、風呂にも入らず、くつも履かず、気の毒なことに、彼女の生活自体が、客観的に見て崩壊している。中学生になっても、テスト中に歌ったり、のりくんの作品の場所をクラスメイトに何回も聞いたり、習字の字の意味も、のりくんの名前も判別できず、彼女の知能も計り知れた。やがて、あみ子は田舎の祖母の家で暮らすことになる。
もし、再婚せずに産みの母親はいなくとも、父があみ子と、兄だけを気にかけていればいい環境であったら、あみ子はああはならずに済んだ。あみ子の特性にあった教育環境を用意して将来少しでも社会に馴染めるような人格を育成することが可能だったと思う。
祖母に預けたことは、父は逃げただけ。あみ子に少しもプラスになっていない。何も解決しない映画だった。
「弟の墓」を見て、母が号泣する一部始終を隣人が観ていて、兄が視線に気づくと窓を強く閉めた場面がモヤっとした。誤解を恐れずに書くと、どこに住んでるかに関係ななく、こういう行為をする人が「田舎モノ」と思った。
また、クラスメートのスポーツ刈りの少年のあみ子への態度が印象的だった。予想するに、あの年齢の男の子だったら、あみ子みたいなタイプに接する態度は、のりくんのような態度が一般的であると思う(保健室での暴力は別)。だけど、彼はあみ子の目線に合わせることなく(同情的な意味で)、自分と同じ目線で接していた。あみ子の態度に本気で腹を立て、かつ友情をも示し、対等に接していた。この映画で最も純粋な登場人物は、この少年。あみ子に「どんなところが気持ち悪いの?」と聞かれた時に答えられなかった場面、すごくわかる。私にも答えられない。答えようがない。祖母の家の近くの海に入り始めたあみ子を見た住人が「大丈夫?水はまだ冷たいよ」と声をかける場面があってあみ子は「大丈夫」と答える。この大丈夫は、「私は父から逃げられ、今ここで生活するしかないが、頑張る」というような意味ではなく本当に冷たくなかったから「大丈夫」と答えたのではないか?
私の推測が正しければ、この映画はとても残酷な映画である。
最後に、あみ子を演じる俳優さんが、演技なのにあみ子になりきっているところが、この映画の良さの一つで、おかげでとても集中して観ることができた。
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