しょうた

長崎の郵便配達のしょうたのレビュー・感想・評価

長崎の郵便配達(2021年製作の映画)
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タイトルが、父ピート・タウンゼントの本では「Postman of Nagasaki」だが、映画は「Postman from Nagasaki」となっているのはなぜか、考えながら映画を観て行った。
それは(ネタバレだが)イザベルさんがフランスに帰ってから子どもたちのための演劇「Children of war」で戦争で犠牲になる子どもたちを普遍的に描いた時に、長崎の少年郵便配達を登場させることになるからである。つまり、この映画は西洋人に向けて映像で書かれた手紙と解するべきだろう。

翻って日本人の目でこの映画を観た時、イザベルの目を通した旅情あふれる映画で、新鮮な眼差しでナガサキを見せてもらった。

だが、何だかきれいにまとめられてしまった感も否めない。
タウンゼントさんと谷口稜曄さん、二人の関係は単純に「美しい友情」と呼べるようなものだったのだろうか。
タウンゼントさんが谷口稜曄さんの肩に腕を回して写る写真、ふとマッカーサーと昭和天皇が並んで写る写真を連想した。何か対等でないものを感じた。
当時の日本人通訳とイザベルさんが話すシーン、通訳さんが谷口さんはあまりおしゃべりでなかった(not talkable)と言うと、イザベルが意外だという風に驚く、というところに現れているように、谷口稜曄さんのことを本当に理解しているのか、という疑問が湧いた。

ぼくが谷口稜曄さんの存在を知ったのは、タウンゼントが長崎を初めて訪れた1982年頃のことだった。この映画でも使用されている、一度見たら忘れられない、背中一面が重度の火傷で瀕死の少年の映像。本作では何の説明もないが、これはアメリカ軍が原子爆弾の効果を検証するために被爆地に入って撮影した映像の一部で、長らく秘匿されてきた映像を1980年代に日本の市民たちの手で買い取り公開するという「1フィート運動」によって観ることのできた映像である。
(この映像を観たのと同じ頃、学生だったぼくは長崎を訪れてもいる。そういえばイザベルさんとは同じ歳だ。)

本作で谷口稜曄さんが1歳で母を亡くし、兄姉とともに祖母宅に引き取られた生い立ちを初めて知った。あの瀕死の状態から生き抜いた精神力はどこから来たのか、改めてそうしたことも思わされた。
たぶん2000年代と思うが、晩年の谷口稜曄さんの姿を丹念に追ったNHKのドキュメンタリーが心に残っている。稜曄さんが背中の一面のケロイドを背負って(胸部の酷い褥瘡を含め)長く生き続けられたのは、この映画にも登場する妻の栄子さんが、毎晩欠かさず、時間を掛けて稜曄さんの背中に軟膏を塗り、マッサージを続けたおかげである。あの日から、毎日生きていくこと自体がたたかいだったのだろう。
そして、栄子さんが亡くなった翌年に稜曄さんが亡くなったことをこの映画で知って、二人が一心同体だったことを無言のうちに告げられたような気がした。

映画の内容に戻ると、フランスのテレビに谷口稜曄さんが出演した時の映像の中で、タウンゼントさんが尋ねる、「これほどの傷を負わせた加害者のことをどう思うのか?」。その答えの映像がいつ出るのか、待ちながら観ていたが、ついにそれは流れなかった。やはりそこに、何かがごまかされているような気がしてならない。
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