1927年、ルイジアナのホテルで画家の男が、村人たちによって、壁に釘打ちされて、惨殺される。50数年後、そのホテルを遺産として相続した女は、荒廃したホテルの改修を始める。すると怪奇現象が起こり始め、人が死ぬ。ホテルの名はセブン・ドアーズ・ホテル。七つあるとされる地獄の門の1つが、地下に広がっている。。。
①可哀想なイタリア映画
本作はアメリカのルイジアナ州を舞台にしている。フルチは英語をほとんど話せず、ロケ探しはイタリア語を解する現地人でニューオリンズ映画協会のラリー・レイさんに頼んだのだという。キャストは主人公の女がイギリス人、拳銃を撃ちまくる医師はニュージーランド人、白目のエミリーはイタリア人。トリートメント(話の論理的展開と設定が詳述されている撮影用の台本のこと)は3ページしかなく、フルチが役者に身振り手振りで伝えるか、レイさんに通訳してもらったらしい。
なぜアメリカを舞台にしたのだろう?いい加減な脚本上の設定でルイジアナを舞台にしているが、ルイジアナである物語的必然性はゼロである。思いつきの撮影なので少しだけだが湖や橋をロケに使う。そのショットは周辺的だが、なかなかいい。しかし、イタリアにも湖や橋はあるだろう。おまけに自分は英語が分からないし、主要キャストはイギリス英語を話すのだろうから、アメリカ南部を舞台にすることには、なんの必然性もない。
②音声
英語語版wikiに、本作の言語は英語だと表示されている。日本語版wikiはイタリア語としている。私の視聴した4Kレストア版のBlu-rayは音声はモノラルのイタリア語のみである。その音声は極めて酷く、唇の動き(英語)と出てくる音(イタリア語)が違うだけじゃない。きゃー!という叫び声が聞こえてから、女優の口がきゃーの形になる。SEもおかしく、黒い泥水のバスタブの栓を抜こうと、詰まっていた髪の毛の塊をおばさんが手にとる。気持ち悪そうに投げ捨てる。どれだけの距離を髪の毛の塊が飛んだのか分からないくらいの時間差で、、、びちゃ。もはや映画の体をなしていない。
わざわざアメリカで撮影を敢行した結果がこれである。アメリカでオリジナルノーカット版が公開されたのは1996年のこと。日本の劇場はスルー。
③大蜘蛛のタワシ
書庫の棚から転落すると、禍々しい毛むくじゃらの大蜘蛛が何匹か出てきて男に襲いかかる。手、ワイシャツの袖、襟首ともさもさ動いているのは、本物。マネキン人形にしか見えない口元にやってきた大蜘蛛はこれまた下手くそな作りで、タワシのできそこないのような姿で、絶対にプロの人形師ではない人物がかさかさと動かしている。
『サンゲリア』(1979)には、カリブ海の沖合で女が服を脱いでギアを装着するのをねちねち映してから、海に潜ると、サメが襲いかかってくる。すると、ゾンビまで出現してきて、サメと格闘し、ゾンビの血が流れるシークエンスがある。このサメは本物であり、素晴らしいメイクの海中ゾンビは、サメの調教師の方らしい。この海中のシーンは監督のルチオ・フルチの承諾を得ずに、スタッフの独断で撮影されたもなので、フルチの功績ではないのだが、これまで目にした水中アクションショットの中でも最上のものであり、奇跡的に『サンゲリア』を比類のない映画にしている。無論、『ビヨンド』の大蜘蛛などは話にならない。
④犬は霊視するか?
キエシロフスキの『愛に関する短いフィルム』(1988)の黒い老犬は、女よりも早く、男のゴーストに気づいている。
ロバート・アルトマンの『イメージズ』(1972)の犬は、部屋の扉を開けると王妃のような裸の自分と一緒にカウチの上にいて、自分を見返している。また、女が旦那を殺すと、扉の外から犬が入ってくる。犬は死臭を嗅ぎつけている様子だが、死体は消えている。犬には見えないものが見えている。
『ビヨンド』の犬は、盲目の女がゾンビに囲まれても、気付かないようである。盲目の女主人を見ながら、カーペットに身をふせる。しかし、主人が襲われると唐突にゾンビに喰いつく。すると、ゾンビの肉を食ったからか、女主人に襲いかかり、ぐちゃぐちゃのゴアが始まる。可哀想なのは犬の方で、むちゃぶりだろう。
また、このゴアなのだが、大蜘蛛と同じく、ゴアのところはフェイクなのだが、異様に精度が低い。ダリオ・アルジェントの『ダークグラス』(2021)の犬のゴアもフェイクだが、まったく分からなかった。本物に見えたのだ。本作のは犬も話にならん。
⑤ゾンビ
これが一番大事。全部で20体くらいかな、もっとかな、とにかく1体を除いて、全部ダメ。
黒い泥風呂から浮き上がるゾンビなんだけど、顔がゾンビメイクになっている。でも、はだけた胸毛のあたりは健康的な肌色。おばさんの顔面をつかんだ手先は、申し分程度に死体っぽかった。病院でわらわら出てくるのも、皆んな、顔以外は肌色。
不真面目。ほんとにむかつく。なんでゾンビだけでもちゃんとやらないんだ!予算が少なくても、露出する部分にメイクするくらいやれよ。
⑥賛否
英語版wikiに、傑作として称賛されている本作は、シュールレアリスティックなのだとある。本作の何がシュールレアリスティックなのか、長々と書いてはあるのだが、さっぱり分からない。とにかく、そう思っている批評家がいるらしい。
シュールレアリスムの画家であれば、サルバドール・ダリが有名である。また、ルネ・マグリット、マックス・エルンスト、ポール・デルヴォー、、、これらの画家は皆、珍妙な絵を描く。しかし、今問題にしたい共通点は、超-現実への志向というよりも、乗り超えるべき現実の形象を描くのが異常に上手いということ。単純に絵を描くのが上手い。逆に絵が下手ならば、彼らがシュールレアリスムだろうと、レアリスムだろうと、ス-レアリスムsous-réalismeだろうとも、ただ歴史から消滅することになったのである。アートとはまず技術である。
『ビヨンド』は、下手な画家である。シュールレアリスムがどうとか、内容がコンシスタントであるとかないとか言う以前のレベルである。こういう作品をシュールレアリスムとかいう人は、シュールレアリスムを知らない人であり、映画の画面を目で観る前に、空想で見ているのである。スクリーンという物質的制約を超えるのを目で観てもらえるようにするならば、その映画監督は映画監督として頑張ったのだ。そうならないならば、頑張っていない。