アニマル泉

月光の囁きのアニマル泉のレビュー・感想・評価

月光の囁き(1999年製作の映画)
4.0
塩田明彦の処女作。水橋研二とつぐみの二人乗り自転車の走りと並走するトラックショットや雨中の水橋の自転車の激走がいい。縦道の歩きショットが頻出する。水橋研二が好演、つぐみは無理だった。女の魔性をつぐみでは描けない。「17歳の普通の恋がしたい」と絶叫する場面で暗澹たる気分になった。塩田は性を理屈で考えようとしている。そこを掘っても答えなんてない。そっちじゃない、真面目過ぎるぞ塩田明彦!水橋が翻弄され尽くされて途方に暮れればいいのだ。ブニュエルの「欲望のあいまいな対象」のようにやって欲しい。天才ブニュエルは一人の女を2人の女優で演じ分けてフェルナンド・レイを見事に翻弄した。女の心情は描かない。官能とペーソスがあるだけだ。そこが本作と決定的に違うのだ。そもそも設定を高校生にしたのが無理ではなかったか?という疑問も残る。もっと大人にした方が判りやすいだろう。処女作なので塩田の力みもある。豪雨の田んぼでつぐみが水橋を凌辱するのを俯瞰のロングショットで捉える場面は立派すぎる。本作はもっと淫靡でないと駄目だろう。押入れのような密室が相応しくて、わざわざ雨を降らせてイントレを組んで俯瞰でワンショットで撮る場面ではない。誰に見られるかもしれないオープンな田んぼで大声で芝居するのはおかしいと気づく冷静さに欠けている。本作は最初は水橋の目線で描く。それがつぐみの方を描きだそうとして墓穴を掘り始めるのが尾行の場面だ。つぐみに命じられて水橋はつぐみと草野康太のデートを尾行する、喫茶店の二人を水橋は雨の中で見つめる。この尾行の場面、さすが塩田はきっちり描く、尾行する水橋の目線からしか描かない。尾行場面は追う人の顔、追われる側はあくまで「見た目」とシンプルに描くのが鉄則だ。軸はあくまで追う側から、これを崩すと混乱してしまう。しかし塩田は軸を崩してしまう。雨すじが流れる窓ガラス越しにずぶ濡れで見ている水橋とそれに気づくつぐみの顔を切返してしまうのだ。そしてここからつぐみの軸で描き出してしまう。この雨ガラスごしのいかにも映像的な切返しが決定的な失敗だった。作品はこれ以降はつぐみの内面を描こうと墓穴を掘っていく。ヒッチコックの「めまい」は尾行場面は絶対に軸がぶれない。鉄則通りに追うジェームス・スチュアートの顔と見た目のキム・ノヴァクだけで描く。そして二部構成の後半で軸を鮮やかに反転させてキム・ノヴァクを主軸にするのだ。シネフィルの塩田は猛省すべきだ。塩田は二人の視線がぶつかる視線劇にこだわったのだと思う。つぐみが自らの情事を見せつけて、見つめる水橋と勝ち誇ったつぐみを視線でぶつけていく。ラスト、2人を片目にしたのも塩田のこだわりに他ならない。塩田にはブニュエルのようにもっと飄々とウォーターズのようにもっと不埒に撮って欲しい。
エンドタイトルの主題歌はスピッツ。
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