Foufou

死霊のはらわた ライジングのFoufouのレビュー・感想・評価

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サム・ライミのほうは、これぞスプラッター映画の最高峰ってな触れ込みがあって、長らく敬遠していたのを、あるとき意を決して見てみて、おや? コメディ? と拍子抜けしたのを思い出します。ん? 2とごっちゃになってるかもしれません……。

本作は至ってマジメ。作り手は、往年のホラー映画が好きで好きでしょうがないんでしょうね。あれこれここでは挙げませんけど、ホラーファンとはいえない私でも、随所にホラー映画史へのオマージュが散りばめられているのがイヤでもわかります。で、それが心地よいんですね。してやったり感があまりないからでしょうか。先輩に忠実な生真面目な後輩、という感じ。

それにしても、この手の映画がワタシ的にぜんぜん怖くないのは、どうしたことでしょう。肉体の損壊シーンというのは、まぁ、怖いというより、痛いでしょうか。外科手術を見るのと、感覚的には変わらないかなぁと。だから、やはり「怖い」は、描かれる対象の「わけのわからなさ」に担保されている。それがね、悪魔祓いとか死者の書とかが出てきちゃうとね、得体の知れなさが、結局はキリスト教のアンチに回収されちゃうんですね。キリスト教の世界観とは異なる文脈で発生している事態であってもね、キリスト教側からすれば異教的なものはすなわち悪です。で、カメラ=主人公=客はキリスト教側だから、どうしたってお話は善悪二元論になっちゃう。悪霊に取り憑かれて地獄に堕ちて永遠の劫火に焼かれる……って、宗教とは無縁に生きているワタシなんか、死んだら無になるだけくらいに思ってますからね、地獄に引き摺り込まれるという事態が、フィクショナルにしか想像できない。そう、どこまでもフィクションなんです。

「わけのわからなさ」ってのは、何かの対立項ではなく、我々の隣人として描かれてこその恐怖なんだと思うんです。だから『ミッドサマー』や『NOPE』は面白かったし、怖かったんじゃないか。『リング』の怖さもそこにあったし、子どもの頃見て怖すぎてしばらく立てなかった『エイリアン』なんかもそう。人間が、ある生き物にとっては産卵床に過ぎないという、人間の想像し得ない別文脈に引き摺り込まれる恐怖、ですね。

本作でも死霊がダーティワードを連発したりキリスト教的な神を冒涜するようなセリフを吐く。貞子がそんなことしたら興醒めでしょ? あれ、やめたらいいのになぁと、この手の映画を見るたびに思います。
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