かりんとう

ニトラム/NITRAMのかりんとうのレビュー・感想・評価

ニトラム/NITRAM(2021年製作の映画)
3.5
「彼はなぜその事件を起こしたのか」
という疑問に対する答えはここにはない。
映画はただひたすら、淡々と「きっとこうだったのであろう」という脚色の下、彼が事件を起こすまでの足跡を辿る。

「普通の青年」として人生を謳歌できなかったのは彼のせいではない。
ハンディキャップは望んで持って生まれたものではないし、生まれた場所が違えば特別な支援を受け、彼なりの幸せがあったのかもしれない。しかし、この映画は決してそんな彼に同情的な描写はない。
彼の手によって35人もの罪なき人々が人生を奪われ、それ以上の人々を絶望と悲しみのどん底に突き落としたのは紛れもない事実。
一分の情状酌量もない。

昼間から自宅の庭でロケット花火を飛ばしまくっていることや、その他の言動から彼には軽度の知的障害があるのがわかる。
人の気持を推し量ることも未来を予想することもできない。
しかし彼なりに「嫌悪」「信頼」「愛情」「焦燥」「愉しみ」といった様々な感情は持ち合わせている。
ジェフリー・ダーマーやジョン・ゲイシーのように、己のおぞましい性癖と欲望のために狡猾かつ用意周到に犯罪を重ねたシリアルキラーとは全く違う類ということがわかる。

それ故なのか、無音のエンドロールを眺めながらなんとも形容し難い虚無感を感じた。
彼を凶行に走らせない術はあったのだろうが、これは実話であり実際に起きたこと。
これだけの事件を起こしておきながら、動機はわかっていない。
それは彼自身にこれと言った動機がないからに他ならない。

エズラ・ミラー主演の「少年は残酷な弓を射る(’03)」のラストシーンにもあったが「ケビン、なぜ(大量殺人を犯した)なの?」
と母親が訊いたとき、彼は「最初はわかっているつもりだった。でも今はわからない」と答えた。
「少年は~」はフィクションであるが、実際大量殺人を犯す犯人の心理とはこんなものなのかもしれない。

今作で特に印象に残ったのは、彼がまさに凶行に走る直前のカフェでのシーン。
カウンターで小銭を出し「これで買えるものを」と伝えると、レジの女性は一瞬怪訝な顔をしながらも「フルーツカップとフルーツジュースでいい?」と言って無造作に商品を渡す。
これが彼の娑婆での最後の食事となるわけだが、彼はそんなことは毛頭意識していない。
黙々とフルーツをかき込み、ジュースを飲み干して、表情を変えることなく、まるでこれから起こる殺戮までが一連の動作のように立ち上がる。
オーストラリア犯罪史に残るとんでもない大事件を引き起こす助走にはまったく見えないが、観ているこちら側はこれから起こることを知っている。視聴者の緊張感がMAXにもかかわらず、本人自身が「大仕事」を行うとは思っていないような、どこまでも淡々とした描写に背筋が凍った。

最後に、実際の犯人と見紛うようなケイレブ・ランドリー・ジョーンズの容姿と演技がすごい。
エヴァン・ピーターズのジェフリー・ダーマーが霞んでしまうくらいだ。エヴァンの役作りは喋り方から仕草から、こちらも本当に似ていたんだけどね。役者ってすごいね!