うにゅにゅ

笑いのカイブツのうにゅにゅのネタバレレビュー・内容・結末

笑いのカイブツ(2023年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

岡山天音の演技が真に狂気、まさに「カイブツ」。「ツチヤタカユキ」の抱えるテーゼと自己矛盾とは?実話ベースの自叙伝的要素がかなり強く、これらのテーマをリアルかつ不可解に描くその演技力が非常に魅力的な作品だった。プロット自体は起承転結が固定されている訳でもなく、どちらかと言えばツチヤの深淵、鬱々とした感情の螺旋を見つめ続けるような、平坦なものだったので、オチが凄く面白かった、とかそういうタイプではない。俳優陣の演技力とツチヤ自身の人生観に常に驚かされ、我々が普段目にする「エンターテイメント」とは何なのか、考えさせられる作品。

ツチヤが表面的に体現していたのは「誠実だが不器用」といったステレオタイプな天才ではなく、寧ろ「単なる奇人」といった、凡人には理解し得ない奇妙な存在だったように感じる。作中、ツチヤが何か面白い事を言って人を笑わせたシーンは少なく、発言のベクトルが「周囲への笑いの提供」に向くことは殆どない。菅田将暉演じるピンク(呼称)とベーコンズ・西寺だけが彼に備わった真にユーモラスな人間性を理解していた。一方、彼が担当したネタ脚本やハガキ大喜利など、間接的な形で彼のお笑い精神は発揮されてゆく。脚本や演技の内容において、我々観客が、ダイレクトに彼の面白さ、その要素を浴びることができない点がこの作品の持つ最大の特色だろう。彼の「面白さ」が分かりそうで分からない、ツチヤの「面白さ」が正しいのかも分からない、そのジレンマが存在してこそ、我々は「本当の笑いとは何か」といった本質的な疑問に遭遇できるのではないだろうか?

ツチヤとは世界観を共有しない周囲の人間達の描き方も抜群だった。特に菅田将暉、松本穂香の快演は印象深い。松本演じるミカコとの恋愛描写は一見すると本筋とは関係のないノイズのように映ってしまう。しかし、彼がお笑いを諦めて、終始嫌悪していた「世間」への迎合を図る際、彼らの恋愛の崩壊こそが、その迎合すら拒否してしまう。彼をどこにも導かず、悲劇の渦中へと突き落とすことこそがミカコの役割ではないだろうか?そう考えれば、彼女の無秩序ぶりは「私中卒だから…」と何気なく自分語りを押し付けてしまう序盤の行動にも表れていたと言えよう。そのさりげない演技力に感激してしまった。菅田将暉に関しては最早言う事なし。兎に角、素晴らしい。ミカコとは真逆で、彼を唯一現実世界に(辛うじて)繋ぎ止め、彼の本音を観客に暴露する為の記号として、鬼気迫る演技をしてくれた。

「世間」とのズレ、往々にして我々が思春期に感じてきた観念が本作では具に描かれている。だが、その世間という概念が指し示していたモノは、真に正しいと言えるのだろうか?本作で描かれるズレは、カメラワーク(劇場、階段付近のシーン。ツチヤにはピントが合わず、他の作家見習いにはピントが当たっている)や突飛な演出(自転車での爆走シーン等等)等、細かな部分で再現されていたが、ツチヤの不器用さや、僅かな可愛らしさに同情した自分は、これらのズレを断罪する気にもなれず、むしろ世間への懐疑的な目線に立ち返ることとなる。プロットや演技だけではなく、演出においても重大なテーマを投げかけられているようで、単なる自叙伝としてだけ受容するのは勿体無い、素晴らしい作品だった。
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