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死刑にいたる病のnetfilmsのレビュー・感想・評価

死刑にいたる病(2022年製作の映画)
3.8
 fランでも名門でも大学はこんなはずじゃなかったと思うところからがスタートであり、家庭にも大学にもどこにも居場所がなく、ひたすら退屈な日々を持て余していた筧井雅也(岡田健史)にとっては、彼から不意に送られてきた手紙が天啓とも悪運ともなり得る。彼に届いた一通の手紙は世間を震撼させた稀代の連続殺人鬼・榛村(阿部サダヲ)からだった。昼は慎ましくパン屋のオーナーとしての仕事をしながら、併設したカフェで接客もこなす男は一見、人当たりも良いが10代後半のターゲットを常に物色している。その姿はついこの間上映された『女子高生に殺されたい』の東山春人(田中圭)とほぼ一緒で(結論は真逆だが)、典型的なサイコパスだ。相手に親しげに話しかけ、段階を踏んで少しずつ相手の懐に入り信用させ、少女を餌食にする(時には少年まで)。白石和彌は今作の榛村の人物像にハンニバル・レクター博士を想起しただろうし、実際に彼の所業はすぐに白日の下に晒され、収監されて身動きが取れなくなる。だがハンニバル・レクター・メソッドは収監され、身動きが取れなくなってからがミソなのだ。あっさり彼の面会に来た雅也に対し、榛村は「罪は認めるが、最後の事件は冤罪だ。犯人が他にいることを証明してほしい」という言葉だけを静かに穏やかに伝えるのだ。

 翌日から独自の捜査を開始した雅也はあっという間に事件の暗い闇に魅せられる。いや、事件のあらましそのものよりも榛村という人物の何か途方もない人間的な魅力にのめり込んでいくのだ。仮にも同性間でハンニバル・レクター・メソッドを実行するとすれば考え得る方法論は一つしかなく、案の定今作は祖母のお葬式から物語が始まる。何も決められない母親(中山美穂)と体裁にしか興味のない自己中心的な父親(鈴木卓爾)との対比。そして唐突に現れた雅也を見つめる加納灯里(宮崎優)の眼差しと、何やら今作は雅也の周囲に丁寧に伏線を敷き詰めて行く。それは初めての面会で肩がぶつかる怪しい男も同様だ。然しながら今作には刑事も探偵も出て来ない。その道のプロではなく、素人たちが自分たちのロジックで事件の深淵へと向かうように見えて、実は向かわされている点に物語の旨味がある。PG12作品だがサイコスリラーが苦手な人なら大人でも吐き気を催すような残酷描写が続くので注意が必要だ。アキレス腱を切られた少女の描写は新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件を連想させ、24人の少年少女の肖像写真には明らかにあれとわかる行方不明事件の該当者に酷似した描写もあり、猟奇ファンにとっては非常に芸が細かい。

 人間のどす黒い深淵を好んで描く白石和彌の姿勢はロケハンから道具立てに至るまで本当に丁寧に描写する。土地勘がある者ならば宇都宮ヒカリ座や居酒屋 角次郎、泉町界隈や駅前通りの田川沿い、駅東連結通路やPARCO裏など映画に向いた場所をしっかりと選定し、場面ごとにスムーズに着実に繋いでいることがわかるはずだ。今作のモチーフに『羊たちの沈黙』や黒沢清の『CURE』『アカルイミライ』があるのはほとんど明らかだが、問題は阿部サダヲの演技が何かの映画によく似ているなと思いながら観ていたら、中盤辺りで思い出した。湊かなえ原作で黒沢清がドラマ化した『贖罪』の香川照之とほとんど同系統なのだ。そのことに気付いてしまった辺りから、阿部サダヲのサイコパス役も何だか並外れた演技とは思えず、多少白けてしまったのも事実だ。若い頃に公園で戯れる阿部サダヲは、完全に芸人の永野だった。
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