始めは、こういった殺人鬼を描く上での所謂「美学」というものなのかなと思わされて、だからこそすごく話を信じる。
でも、進むにつれて「誰かの言葉を映像化」「推理を映像化」したものでしかその「犯行」を見ることが出来ず、どこに見落としや嘘が含まれているかが分からない。そして、そこへどんどん「怪しい」「嘘か?本当か?」を注いでいく面会室。
この気持ち悪い、地に足着かない浮遊感を維持される。
でもこの浮遊感、まるで現実の本物の病原体やウイルスに対して「どうしてそういう手段で?」って聞いても当然返事は無く研究してワクチンを開発するしかなく、またその研究もパっとすぐにできるものでもなく実験などを重ね「これが効きます」と断言できるようになるまで、病は何も考慮してくれず蝕み続けてくるように
我々があの男と正しく会話しようとするという前提がそもそも間違っていると思わされるような、そういったことを「死刑にいたる病」というタイトルからも感じました。