ラウぺ

リフレクションのラウぺのレビュー・感想・評価

リフレクション(2021年製作の映画)
3.9
2014年ロシアによるウクライナへの侵攻がはじまってまもなく、外科医のセルヒーは離婚した元妻オルガとそのパートナーであるアンドリーと暮らす娘の誕生日にプレゼントを持ってペイントボールの競技会場にやってきた。アンドリーはロシアとの戦闘での凄惨な前線から一時帰還し、一週間後に部隊を再編し再び前線に行くという。セルヒーはその後従軍し、東部の前線で親ロシア派の捕虜となってしまう・・・

2019年製作の『アトランティス』に続くヴァレンティン・ヴァシャノヴィチ監督による2021年の映画。
マイダン革命後のロシアによるクリミア併合とドンバス地域での親ロシア派傀儡政権との戦闘はウクライナでは2022年のロシアによる直接的な侵攻と一括して一つの戦争とみなされており、2022年の侵攻以前に作られたこの映画でも、ロシアとの戦闘はこの時点で日常の出来事と並列する異常事態というスタンスで描かれています。
兵士は前線から帰ると普段の日常が続く普通の暮らしの中に居て、再び前線に赴く、ということが繰り返されている。
2021年のこの“日常”がウクライナにとってごく当たり前のこととして描かれていることに改めてショックを受けるのです。
ロシアの侵攻を受けて、この異常な日常ですら、また一部に平穏なところがあったということがいくらかでもマシに感じられるところが恐ろしい。
セルヒーが娘のポリーナに会いにくる場所が疑似戦闘といっていいペイントボールの競技会場というところからして、この状況のシンボリックな描写といえます。

アンドリーの語る前線での様子は、ロシアとの戦争がどれほど悲惨なものであるかを暗示するものでしたが、セルヒーはこのあと捕虜となることでその恐ろしさを身をもって体験することになる。
親ロシア派の捕虜への虐待の場面はこの種の映画でよくある拷問の場面の中でも、淡々とした描写ながらトラウマとなること必至の無慈悲ぶりで、しばし放心状態となってしまいます。
はじめの方に出てくる野戦電話を使った拷問では、「アレをこうやって使うのか!」というちょっとした驚きがあって、家に帰ったらダンジョンの奥地に仕舞ってある旧ドイツ軍の野戦電話で試してみるか、などと思っているうちに、そのような余裕は消し飛んでしまうのでした。

外科医であることを利用されセルヒーは捕虜が死んだかどうかを確かめる役割をさせられる。
このなかでニュースに登場して話題となった“移動火葬車”が登場。
トラックの荷台に収納された円筒形の火葬装置はセットなのか本物なのか一見したところではどちらなのか分かりませんが、荷台のランプには“ロシア連邦人道支援”の文字が書かれていたりする。
これはさすがにフィクションだと思いたい。
10年近くも凄惨な戦闘を続けてきたことで、拷問などの捕虜が受ける虐待や亡くなる経緯はかなりの部分に実体験によるものが含まれていると考えなければならないでしょう。

ここで具体的に記すことも憚られるような体験の末、セルヒーはウクライナに帰還する。
娘のポリーナや元妻、街の様子は以前とあまり変わらない様子。
ただ、悲惨な体験をしたセルヒーにはそのトラウマがありありと刻印され、観る者に迫ってきます。
アンドリーの消息を気にするオルガとポリーナにもセルヒーはその真実を語ることができない。
心の傷を癒すことができないまま、セルヒーはポリーナと数日過ごすことになるのですが、淡々とした日常の描写が続くその息苦しさとセルヒーの心のうちを暗示するような些細な出来事のなかに、セルヒーに元通りの平穏な日常が戻るのは相当な期間が必要なのだろうと思わずにはいられないのでした。

『アトランティス』では物語のその先に多少なりとも心の平穏に繋がる明るい要素が窺われたのですが、こちらはそれに相当する部分はほんの僅か、あるのかないのか定かでない、といった程度。
観る者がそのように捉えればいつかはセルヒーの心も和らぐのだろうと思える人も居るかと思いますが、そこは観る者それぞれで感じ方は違うかもしれません。
映画は2014年の11月からどのくらいの期間を描いているのか明示されず、その後2022年までも戦闘が継続したのちに全面戦争に突入するに及んで、セルヒーの心の内どころか、登場人物たちのその後の運命がどうなったのかさえ見通せない今日の状況では、映画の先に明るい見通しがあるといった想像はちょっと難しい、と思わざるを得ないのです。

セルヒーの帰還後の描写が抑制的で、また何かのメタファーと思われる場面が頻出することもあって、この映画の位置づけをどのように捉えるかはなかなか難しいところがあるのですが、現実のウクライナ情勢の成り行きによって、映画の落としどころも変わってくるのではないか、という気がするのでした。
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