ラウぺ

ナチ刑法175条/刑法175条のラウぺのレビュー・感想・評価

ナチ刑法175条/刑法175条(1999年製作の映画)
4.0
ドイツにおいて同性愛を禁じる刑法175条によって迫害を受けた人のうち、特にナチスによる迫害を受けた当事者に戦後50年を経てインタビューしたドキュメンタリー。
1999年製作、日本公開は2024年。

映画の冒頭で175条の条文が掲示されます。
「男性と男性の間で、あるいは人間と動物の間で行われる不自然な性行為は、禁固刑に処される。公民権が剥奪される場合もある。」

『大いなる自由』を観た人には刑法175条は既知のことと思いますが、この同性愛(特に男性間の)を禁ずる法律は1871年5月15日に制定され(施行は1872年1月1日)、ナチス時代はおろか、1994年3月10日に廃止されるまで、長きに渡ってドイツで施行され続けていたものです。
この映画では特にナチスによる迫害をテーマとしていますが、それは同性愛を単なる刑事罰として収監すること以上に、強制収容所に送られての迫害という際立った特徴があるためだと思われます。
映画の原題では単なる“Paragraph 175”ですが、上記のような事情があるとはいえ、この法律が、基本的内容はそのままにナチス台頭の60年も前から存在し、戦後も50年近くも存在し続けた、という点は、問題の根源はナチスの迫害のみにあるわけではない、という点に留意すべきだと思います。
特に事実関係を知らずに邦題のみで脳内イメージを作られてしまう危うさを考えると、これまた安直な邦題の付け方には問題があると指摘せざるを得ません。

1999年という映画の制作年からしてこの当時ドイツにおいて同性愛が刑事罰として犯罪認定されていた、という事実に対しどの程度の社会的認知があったのかは興味深いところですが、監督はそうした迫害があったことをはじめて知って、当事者にインタビューをすることにした、と語っているように、この問題は広く一般に認知されていたとはちょっと思えず、また25年前であれば、そもそもの社会的認知においてゲイに対する扱いは今日的レベルでは非常に大きなギャップがあったであろうことは容易に想像がつきます。

数多とある強制収容所についての映画をや著作に触れて、ゲイが強制収容所においてどのような扱いを受けていたのかは、あらかじめ大凡予想がついていたとはいえ、やはり当事者の実体験は生々しく、また当事者でなければその迫害の根の深さと深刻さはやはり想像するのは難しいと感じるところです。

この映画の中で93歳にしてはじめて迫害について語る収容者の苦悶の表情は、戦後50年を経ても口に出すことさえ難しいトラウマの大きさを如実に表していて、驚愕を覚えるのです。
他の生存者の語りの中でも、戦後に強制収容所から出ることは出来てもゲイは依然として刑事罰の対象であり、家族にさえ収容所の体験を語ることが出来ない無念さは、『大いなる自由』においても有期刑で何度も娑婆と刑務所を行き来する主人公の様子と被り、ゲイに対する差別の根深さが全体主義の中で先鋭化したという前に、社会の害悪として広く認知されてきた歴史的事実の重みがが、深く実感されるのです。

映画の制作時において強制収容所から生還したゲイで生存が確認できたのは8名であり、そのうち6名がインタビューに応じた、とのことですが、その後25年を経ておそらくその当事者はほぼ全てが鬼籍に入ったであろうことを想像すると、この映画がこの時点において記録されたこと自体が、大変貴重な記録であったといえるのだと思います。

この映画の中でとりわけ対象がゲイのみであり、レズビアンが対象となっていない点について言及がありますが、女性は矯正可能と考えられていたことが挙げられています。
この扱いの軽さそのものがある意味で女性の地位の軽さを象徴するところであるともいえますが、こと強制収容所に対する収容の有無という点では、ナチズムそのものがやはり男による社会の統制を大前提としており、労働力と兵力の供給源たる男子の統制を重く見るところに大きな理由がある点を考慮しないわけにはいかないだろうと思います。

何れにしても、こうした差別が少なくとも法的には過去のものとされ、受刑者の名誉が回復されたことは、重要な一歩であったと実感するのでした。
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