「アトランティス」からつづけて観ました。そこから時間軸では11年遡った2014年に設定され、ドネツク人民共和国(DPR)が登場してきた場面で納得しました。これも2022年2月以降のマスコミ報道などがなければ、まるで意味がわからなかったと思います。このころも紛争状態だったということを…。
主人公であるセルヒーがDPRの武装勢力に拘束されている前半の閉塞感は強烈ですが、キーウの都会で生活している後半の登場人物の描写は、とても現代的な雰囲気です。「アトランティス」が戦後の荒廃した風景での直接的な表現が中心だった一方で、この作品の後半は、普通の生活にあるようで、どこか暗示的な雰囲気が漂っています。そのままではどう解釈していいかわからないシーンが少なくありません。映像や色彩のニュアンスも含めて、ミヒャエル・ハネケ監督の作品を連想しました。“鳥の亡骸”のイメージに引っぱられたからかもしれません。
セルヒーは拘束中に、元妻の再婚相手であるアンドリーが捕虜として拷問される場面に遭遇します。冒頭のシーンでは、2人は友人関係にあるようでしたが、セルヒーが帰還してからの心情を想うと、いたたまれません。娘のポリーナも義父である彼を慕っていたし、ずっと安否を心配していたからです。「アトランティス」では家族や子どもの存在がほとんど描かれなかったので、心の優しいポリーナの存在がとても貴重でした。座禅をしたりスシを食べたり、日本が好きなのかもしれません。
誰もが指摘するように、エンディングのクイズのような訓練の意味はわかりませんでしたが、家族の関係性とその未来をポジティブに表現しているようで、とても印象的でした。
ヴァレンチン・ヴァシャノヴィチ監督は、普通に日本で観られるのは2作品までですが、ウクライナの惨状が世界に拡散しているなかで、これからどんな映画を制作していくのか、かなり興味があります。