ヴィスコンティの残酷さ。
カンヌ映画祭の時のコメントで「彼はもう映画のときの様に美しくない」って…
勿論それは分かってる。
ベニスに死すのタジオのこの世の物とは思えない美しさ怪しさはほんのいっときのもの。映画公開後、一躍人気が出て世界中の注目を浴びた頃にも美貌の少年ではあったけれど、もうベニスに死すのあどけなさが残るタジオでは無かった。
ヴョルンはヴィスコンティの玩具として使われ、捨てられた後は世間の(とくに日本の)お人形になった。日本のCMに出て、日本語の歌を歌って…
ワタシは彼の歌は記憶に無かったが、チョコレートのCMに出ていたのは薄っすら覚えている。
当時、人気の外タレは破格のギャラで日本のCMに出ることが多かった。ヴョルンもそんな中の1人だったのです。
でも当時の彼はまだ15歳。
映画も日本のCM出演も彼の祖母のゴリ押し。ヴョルンが望んだ事は何ひとつ無くて全てはステージグランマと周りの大人達が仕掛けた【ヴョルン商法】
それでも彼がしたたかでグランマを制して自らを売り込んで儲けに走るくらいなら良かったのだけれど。そんなショービジネスの渦の中心に居るにはあまりに純粋で繊細過ぎた。
ヴョルンの母親が自死を遂げた事。それが彼のアイデンティティを大いに揺るがしたであろう事は想像に固くない。そんなトラウマを抱えながら世界のアイコンに仕立て上げられ、あまつさえ男色家から性の対象として見られるのはまだ若い男子には耐えがたいことであったろう(彼がストレートであれば尚更)
ベニスに死すは確かに素晴らしい名作である。
それが故にヴョルンの背負った闇は重過ぎた。
あの映画のラストで煌めく陽光が明るければ明るいほど、彼の堕ちた闇は暗かったのではないか。
海に立つタジオがアッシェンバッハに指し示したのは彼岸の方向なのか?
あのシーンのあと映画は美しく幕を引くが、死の大天使タジオはヴョルン本人をも彼岸に招いていたのかも知れない。