Kuuta

叫びとささやきのKuutaのレビュー・感想・評価

叫びとささやき(1972年製作の映画)
4.1
三姉妹とその使用人、女4人の人間模様を鮮烈なカラーリングで描いた室内劇の快作。

真面目で繊細な長女カーリンは望まずに母となる。癌で余命短い次女アグネスは母にコンプレックスを抱き、母になれない。自由奔放な三女マリアは母になることを拒む。使用人のアンナは娘を失っている。

ベルイマンっぽいリズム感ってあると思う。例えば刺々しい会話が続いた先に、ふと美しいショットが入る気持ち良さ。
三女の不倫シーン。医者からネチネチ言葉攻めを受ける数分間は息苦しい顔のアップが続くが、「あなたも同じでしょう」と反撃すると、次の瞬間には綺麗な引きのショットで2人が抱き合う様子を収める。この緩急。長女のセックス拒否の見せ方もめっちゃ鮮烈だった。エクソシストそっくり。あれはトラウマになる。

一見整った家族が(今作は赤い室内と死を暗示する時計の冒頭から病んだ家族だと明らかだが)、次第にその本音をぶちまけ、ギスギスめそめそするお馴染みの展開である。

女の戦いはどんどん悪い方に流れていく。どうやってまとめるんだとワクワクしながら見ていたが、エピローグは長女の夫の「なかなか悪くない葬儀だった」で口火を切る。父性に対するベルイマンの圧倒的な不信感に笑ってしまう(長女の名前カーリンはベルイマンの実母と同じ)。

ストーリーは例によって抽象的で、映像だけでも十分満足できる作品ではあるが、以下は私なりの解釈。

無粋なまとめ方をしてしまうが、要はこんな不道徳で孤独な世界にも愛=神はいるのかという話だと思う。終盤のアグネスは「死して尚、虚無にいる」と訴える。この叫び、神の沈黙は相当に怖い。

「鏡の中にある如く」では、部屋の一角を観客から見えなくする事で「神」=叫びを表現したが、今作もこの場面で同じ手法を踏襲している。亡くなったアグネスは磔刑後のキリスト、使用人のアンナが支えるピエタであり、アンナが神に祈る左向きの構図は、アグネスの遺体と向き合うシーンで反復される。

案の定、姉妹は分かり合えていない。復活の奇跡を前にしても「私はあなたの死と関係無い」と叫ぶカーリンが酷過ぎて笑える。ただ、ラストの日記で、アグネスは「聖母」アンナの支えの下、三姉妹でささやきを聞いていたとも明かされる。肉体が滅びても、肌が触れるような距離で築いた愛はどうやら残るようだ。ベルイマンなりの神=世界の肯定に取れる。

(ヴィスコンティ的な貴族の映画と捉えると、貴族は滅び、市民としてのアンナだけが愛を得るとも解釈できる。血の繋がらない関係こそが人を救う、という読みも可能だろう)

赤い部屋にはデビッドリンチっぽさも感じる。人間の体は案外あっさりとモノに変わってしまう。こうしたドライな感覚と、ドールハウスや身内のギスギスした会話はアリアスターにも受け継がれている。82点。
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