YasujiOshiba

マクベスのYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

マクベス(2021年製作の映画)
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林檎TV。予告に惹かれたのだけど機会を持てず、金曜日のセミナーコンサートを前に予習をかねて。

ぼくがシェークスピアの「マクベス」のことが気になったのはヴィスコンティの『地獄に落ちた勇者ども』(1969)を調べていた時のこと。いくつもの文学的背景があるのだけれど、そのひとつが「マクベス」。イングリッド・チューリンがマクベス夫人、ダーク・ボガードがマクベス。そしてヘルムート・バーガーがダンカン王の息子という設定だと言われて、なるほどそういうことかと納得した。

ヴィスコンティの「マクベス/地獄に落ちた勇者ども」のラストが、あのヘルムート・バーガーの戴冠だ。すなわち、中身のないままに製鉄業のエッセンベック家の後継者となり、SSの制服に身を包んでローマ式敬礼する。その身の毛のよだつ映像を、ジョエル・コーエンのラストシーンにも見ることになる。カラスの大群だ。

カラスといえば、モレッティの『3つの鍵』のカラスも怖かった。その怖さはきっと、わかるようでわからないからなのだろう。その意味のありそうで意味がつかめない動きをもって、ぼくらはカラスが人智を超えたなにものかからの使者だとみるわけだ。

だから魔女の描写もよかった。演じるキャサリン・ハンターは『ハリーポッター』にも出ていたらいいけど、ロンドンの名門、王立演劇学校(RADA)に学んだというから、うまいはずだ。人間なのに人間らしくない存在のみごとな依代になっている。

ところで、ジョエル・コーエンの演出の面白さは、おそらく深さではなく軽さにあるのかもしれない。シェークスピアの専門家ではない。特に好きなわけでもない。マクベスを演出したのは、ジョエルの妻のフランシス・マクドーマンド(1984年に結婚してるみたい)が演出しないかと頼んだからだという。だからフランシスはこの作品の制作にも参加し、自らマクベス夫人を演じているというわけなのだろう。

はじめは乗り気でなかったジョエルが演出を引き受けたのは、フランシスのまさにマクベス夫人のような執拗な(?)誘いと、おそらく重要なのは、彼がマクベスに「20世紀のパルプノワールものの先駆(20th-century pulp noir tropes)」を見いだしたからなのだろう。

なるほど、パルプノワールだと言われてみれば、マクベスという話は俄然面白くなってくる。ドイツ表現主義の白黒のコントラストの効いた演出に、フランス風のウィットを効かせ、三文小説風の展開であっと驚かせてみせる。それがパルプノワールだとすれば、ジョエルのこの『マクベスの悲劇』はまさにそれ。

パタパタパタと飛び出してきたカラスが画面を埋めてしまうとき、それはたしかに「その子息たちが王の系譜となるという予言」が実現する比喩なのはわかった。でもぼくとしては、むしろこれからの世の中にカラスたちが溢れることになるという不吉な、そういう意味でノワールな、同時にパルプっぽい安っぽい、それがこのジョエルの映画だったのかと、なんだかとても安心して、拍手を送りたくなったというのが、正直なところだった。

でも明後日の金曜日のお題はヴェルディの『マクベス』。こちらは少々意味合いが違うのかもしれないけれど、基本は同じなのではないかなと思っている。オペラ版で、しかもレイディ・マクベスが主役のパルプノワール...

もちろんそんなことは言わないけれど、そう考えればいろいろ開けてくるような予感がしているんだよね。


参考:https://www.theguardian.com/film/2021/dec/03/a-post-menopausal-macbeth-joel-coen-on-tackling-shakespeare-with-frances-mcdormand
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