Jun潤

オッペンハイマーのJun潤のレビュー・感想・評価

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
4.0
2024.04.03

クリストファー・ノーラン監督・脚本。
第96回アカデミー賞にて作品賞含め計7部門を受賞。
世界で唯一の被爆国である日本に住む者として、今作の鑑賞は欠かせないと考えていました。
色んな圧力やら何やらで公開が危ぶまれたものの、全米の公開から半年以上遅れて日本でも公開に漕ぎつけ、アカデミー賞受賞効果で期待値が爆上がりの中今回鑑賞です。
もちろんグランドシネマサンシャインのバカでかIMAXシアターで。

原子爆弾を開発・製造するマンハッタン計画を主導し、「原爆の父」とも称されるJ・ロバート・オッペンハイマーの生涯を描く。

これは、、ムッッズ!!
設定がどうとかよりもキャラ相関や時系列の整理に必死で、そういう意味では同監督の『TENET』や『インターステラー』の方が分かりやすく感じました。

物語はオッペンハイマーがマンハッタン計画を率いて原爆の開発を進めていく1926〜45年の物語と、オッペンハイマーがソ連のスパイであるという容疑から聴聞会にかけられる1954年、そして後にオッペンハイマー事件と呼ばれる54年の出来事の首謀者であるストローズに対し、1959年に開かれた公聴会の場面を、時系列をシャッフルして描いていくもの。
この時点でもう頭が追いつくのも厳しい状態で、各年代ごとに、学者や軍関係者の名前がどんどん出てくるし、年代によってオッペンハイマーとの関係性も変わっているように見えるしで、目の前を流れていく展開をただただ見守っていくような感じ。
そういう意味では現代的な作品ではなく、2〜30年くらい前の洋画を見ているような感覚でした。

しかしそこはさすがノーラン監督、アインシュタインやケネディ、広島や長崎の名前を出すことで、アメリカの戦後の歴史についての知識に疎い僕をも反応させてくる巧妙な仕掛けのおかげで、完全な置いてけぼりを食らうこともなく、とはいえ半ば引き摺られるように物語に着いていくことはできたかなと、個人的には感じています。
実際どれぐらい理解できたかは全く自信がありません。

当時の核開発の事情について詳細に予習をしてなきゃ全然分からないレベルにも感じた序盤の場面は、核開発を進め、実際の爆発の脅威や、兵器を開発することとそれを運用することの違いに苦悩するオッペンハイマーの様が追いつくことで、記憶を保ってさえいれば、カタルシスを発揮する、十分な力を持っていました。

そしてノーラン監督といば迫力ある映像に魅力があるとばかり思っていましたが、今作でマジの意味で驚かされたのは「音」でした。
IMAXの音響効果も十分にあるかもしれませんが、原爆に求められたであろう爆発の威力を描いた場面では、光と音を時間差で隔て、音の効果を最大級に発揮してきており、そういう作品じゃないのに思わず肩が震えました。

今作の主人公は、果たして本当にオッペンハイマーだったのでしょうか。
個人的に今作の主人公は「原子爆弾」そのものだったのではないかと思います。
心血を注いで原爆の開発を進めたオッペンハイマーは、その原爆によって後の人生がどんどん曇っていった。
多くの学者や軍関係者を魅了し、一度その威力を発揮させた途端に世界を一変させ、世界の在り方を本当に「破壊」してしまったかもしれない存在。
そんな原爆が今作の主人公であり最大の悪役として成立していたのではないでしょうか。

今作のジャンルはなんなのでしょうか。
人間ドラマなのか、政治サスペンスなのか。
今作は、今作こそが「戦争映画」だったんだと僕は思います。
銃弾は飛び交わないし、戦闘機も飛ばない、空母も海上を駆けないし、死人も、出てくる場面自体は無い。
けれど、戦時中という、現代では考えられないような価値観が簡単にまかり通り、事態に直面している人間達は皆何かに縋って、何かに向かって、盲信的・狂信的に自分の為すべきことをしている。
そんなキャラクターばかりだった今作が戦争映画でなければ、今後どんな作品を戦争映画と呼べばいいのか。
今作に込められた全て、今作が今後引き起こしていく全てを理解することは不可能か、できたとしても大変な時間を要するかと思いますが、すごい作品をリアルタイムで観たということだけは分かった気がします。

偶然同じ時代に製作され、同じ年のアカデミー賞に揃った今作と『ゴジラ -1.0』、クリストファー・ノーランと山崎貴。
唯一の被爆国である日本で、今作のアンサーとなる映画を作るならばその作品の監督は山崎貴だと、ノーラン監督は仰っていたそうですが、今のところオリジナル作品の無い山崎貴監督がアンサー映画を製作するとしたら、『はだしのゲン』の実写映画なんじゃないかと思います。
Jun潤

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