黒川

デューン 砂の惑星PART2の黒川のレビュー・感想・評価

デューン 砂の惑星PART2(2024年製作の映画)
4.6
前作もでしたが今作もすげえ良かった。公開前からそれはそれは楽しみにしていたのに前作同様終演前日に駆け込んだよ…常に体調不良のおっさんになってしまって辛い。あとちゃんと前作復習しとけばよかったし小説読めよ俺。

アトレイディス家の嫡男ポールは辛くも生き延び惑星アラキスにいた。予言書に書かれた預言者と同じ行動を取る彼は民衆の支持を集めていく。
という前作見てないと全くわからない仕様。しばらく観ていて最初に抱いた既視感の正体がわかった。キンザザだこれ…あとこれ三部作にしたら10時間くらいになるんだからやっぱホドロフスキーで観たかったよ…とずっと考えてしまった。

というのは置いておいて、本作は予想以上に神話性を帯びていた。ポールは複数回死ぬ。流刑にされた時、人々は彼が死んだと思った。「命の水」を飲んだ時、彼の脈は弱々しくなったものの、「砂漠の春」の涙でこの世に戻ってくる。ジョセフ・キャンベル『千の顔を持つ英雄』の指摘する神話なのである。前作が聡いアトレイディス家と粗野なハルコネン家の対比が、誇り高き王家の血を引く英雄と、その座を乗っ取る軍人(ではないが)のような、古代の叙事詩や歴史書のような対比になっていた。Xで宗教との関連性を指摘する人がいたが、まさしくこれは壮大な宗教絵画のような作品だ。死の淵にいるポールと彼に寄り添うチャニは臨終のキリストと聖母(またはマグダラ)のようだ。これは大変意図的に見えた。前作から言えることであるが、背景の建物も19世紀くらいに流行ったオリエンタル様のものを模しているのだろう、本作の宗教画性を加速させる。トルコに似たような地下水道があった。前作で何度も映し出されたレリーフは古代エジプト的であった。砂漠の惑星アラキスのアナクロと文明的な水の惑星カラダン、これらは古代と現代のエジプト(やメソポタミア)を起草させる。滅びたようでテクノロジーに溢れた美しい砂の惑星。地下に湛えられた死者からとった水。前作がSFであったのを今作で神話に昇華している。

前作は惑星カラダンのシーンも多かったため、SFとしての側面がとても強かった。アラキスを軸にした本作は、とても「映画」であったと思う。
民衆や集まった原理主義者の狂信はリーフェンシュタールの『意志の勝利』を彷彿する。本作のポールはカリスマ性を持ち、周囲の者は狂信的である。そういう意味でも宗教や教祖のような薄ら寒さすら感じさせる。リンチ版はもっと理知的なポールだった印象があった。監督自体はホドロフスキーもリンチも意識しなかったとのことであったが、ハルコネン男爵の捨て置かれた遺体の耳に群がるアリは、リンチの『ブルーベルベット』へのオマージュだったのだろうか?ホドロフスキー版でシャッダム4世を演じる予定であったダリ(監督はルイス・ブニュエルだが)の『アンダルシアの犬』でも手首にアリが群がっていた。砂漠が舞台なせいか、デザインを元々担当していたメビウスに影響を受けた『風の谷のナウシカ』にもどこか通じるものがある。宗教を放棄しつつある現代に於いて、神話はその人の道標となりうると、ジョセフ・キャンベルがインタビュー『神話の力』で話していたが、まさしく本作はそのような人を導く神話のような力強さがあった。
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