ゲーブルの暴力運転手もヤバいが、さらなる暴力装置であるマフィアによって解決するエンディングは相当後味が悪い。
ロメール 『満月の夜』、そしてリヴェット『北の橋』で強烈な印象を残すパスカル・オジェと路上生活者のノエ・アピタが繋がる。フッテージ映像の粒子の荒い80年代夜のパリ。高層階での生活、その浮遊した過去。な>>続きを読む
ロメール組『海辺のポーリーヌ』グレゴリーは爺さんに、『夏物語』プポーは中年になっている。肉感的なセドゥが、戸惑いながら生きていく。父である哲学者が文字を識別できなくなる。そして回りくどい言い回しで口籠>>続きを読む
信じられないぐらい成功してるのに、壊れる寸前のバーナデットは自分の創造性を抑圧していることに気づいて、全力を発揮する。欲望に忠実であれ。娘との連帯と理解によって、大団円。話を尽くしてください。その滑ら>>続きを読む
残酷なまでに時間は跳ぶ。次のカットで取り返しが付かないことになる。浅はかな青春があっという間に過去となる。打ち寄せる波、夢での再会は束の間、友達の抱擁は真実。生きられる時間は有限。淡い想いは霧散するが>>続きを読む
神を信じても恩寵はない。ただそこにある顔を眺める。映画は他者の顔を見つめることを優しく許す。安っぽい約束と録音された声の不実さ。哄笑が止み、やがて静かな時間が戻ってくる。
出会うとは何なのか?哲学的な問いだ。互いに視線があっても認識できない。通勤電車で毎日同じ空間にいたとしても。パリの街はあまりに人が多すぎるから。
現代社会に馴染めずにいる2人が自分を愛する過程を経て出>>続きを読む
でっぷり肥えた腹で登場するレイ・ウェンストンが冷えたタオルで股間を冷やす。そして厄ネタ上司ベン・キングスレーのウザいかまってちゃんぶりに目も当てられない。転がる石のように流転する人生。半獣人のキック!>>続きを読む
室内系(つまり演劇的)ルノワールでした。店主であるショタールを俗物と切り捨てることなく、地に足着いた物語、つまり室内に留まる理由はそこにある。どこまでも常識人を逆撫でしてくる詩人は列車には乗れず街から>>続きを読む
再婚した2人が窓枠から黒い幌の馬車を見つめる、そのまま馬に向かって、奔放に外へと駆け出すエマ、それを追いかける夫にピントが送られる。『ピクニック』の構図と重なる、ルノワール 印のショットに感動。次のカ>>続きを読む
かつての色男ギャバンが身を窶して、恋愛にのめり込む様を観るのはツラい。典型的なファム・ファタールによるノワールだが、あれだけ邪険にしておいて、田舎にわざわざ訪ねてくるバランの動機がいまいち把握できない>>続きを読む
シュワルツマンとヨハンソンがバンガローの窓越しで会話する切り返しの艶っぽさ。風呂の縁にもたれ掛かり、腕を投げ出して、まるで死体のようになるヨハンソンが発話する瞬間の驚き。絶対に越えられない世界に閉じ込>>続きを読む
フリューゲルへの束縛!耐えられない!デフォーが画家兼贋札製造家。どうでもいいハメ撮りビデオを遺品として譲り受け、フェラーリで去っていく2人の女。バンジー刑事ピーターセンのカーチェイス、頭がおかしい、そ>>続きを読む
金持ち達の空疎で幼稚な諍いがうんざりするほど続く。その無為とも思われる喧しさは、関係が崩壊だしてから笑えるほど怒涛の勢いを持って解消してゆく。モーリーとチチが水辺でタバコの先端を突き合わせて火を共有し>>続きを読む
ブタさんを擬人化して共同生活。極限状態に付きもののカリバニズム。立体物から飛び出した色が壁に沿って変容していく視覚的カオスとASMRで蝕まれていく耳。お腹いっぱい。
ルッキズムが問題となる世の中で、内側(内臓)の美を語るクローネンバーグは詩人だ。スマホ全盛期、平面的な現代に彼の触覚的快楽にノスタルジー的な浪漫を感じる。朝食マシンの食べにくさ、2人組ドリラーキラーの>>続きを読む
オープニングのクレジットが終わると死んでいる愛人。この低温なサスペンスこそシャブロル。『マッドメン』のドンよろしく広告代理店の社長を務めるブーケさん。不安で眠れない時には洗面台にあるアヘンチンキに依存>>続きを読む
タベアさんが無言のまま酩酊して、ずっと観念の世界を彷徨う。まんじりともせず過ごす夜のベルリン。はなから物語は放棄され、フォード『長い灰色の線』みたいな皿の落下みたいに、スーツケースやホームレスのカート>>続きを読む
エラリー・クイーン原作。アルザス地域圏にて。1925年の秋に固執して、その当時のファッションや車やインテリアに囲まれて生活するイカれたウェルズ翁。理解不能。駅到着と祭りをクレーン撮影。バカズームとパン>>続きを読む
フランスのブルターニュ地域圏、アルゴールの小さな村ベントンにて事件は起こる。喪失の熱量はすべて復讐に注がれる。「伝道の書」を元にしたブラームスの歌詞『野獣死すべし』の引用。キャスリーン・フェリアの歌声>>続きを読む
ペリゴール地方(現ドルドーニュ県)はラスコー洞窟で有名な田舎町。チェリーのブランデー漬けを口に含みながら不安で落涙、その後気を紛らわそうとオードランの煙草にヤンヌがライターで火を付ける。そのライターは>>続きを読む
目の前に滝がある、島がある。視界に捉えているのに果てしなく遠い。そう思いきや次のカットでは到着している。上陸前の停滞。ボナヴァンチュールのピンクのシャツが裂けるのに比例してその狂気は深まる。プティ・ノ>>続きを読む
ロマンポルノ前夜。平幹二朗、もといヒモ幹二朗が不能になってのち、みゆきの下着を流し台で手洗いするその淋しい背中に思い切り出刃を突き立てる。みゆきの諦めと恍惚の表情に拍手。冗長で陰惨な映画。新宿駅東口を>>続きを読む
♨️のネオンを見る度にこの作品を思い出すだろう。そして車両基地から聴こえる汽車の暴力的な音。沢村貞子なのに毒がまったくない。茉莉子なのに笑いがない。さらに心中後の家族の倫理的な会話がツラい。蛇足。しか>>続きを読む
ウェス・アンダーソンがKonbiniで紹介してた1本。マムーリアン贔屓なんですね。死体の代わりに川面に浮かぶ帽子に傑作の予感。終始ヒリヒリした肌触りの映画。シドニーもクーパーも若々しく生き急いでる。色>>続きを読む
夢を与えるはずの映画、それを捉えるカメラと撮影者と被写体の関係が余りにも残酷。芸術は君を引き裂くだろう。愛する人も仇敵も等しく俎上に乗せ、編集による印象操作の恐ろしさを、自伝に落とし込むスピルバーグっ>>続きを読む
絶え間ない親子の侮蔑と愛着が交互にやってくる。煉獄のように過去に囚われ、在りし日の幸福を振り返り、台無しになった日を嘆き続ける。ビッグ・イディはリトル・イディと同じ空間にいることに耐えられないくせに、>>続きを読む
管理される自然。警備員や客は過酷な環境を潜り抜けてきた移民だったりする。緩やかに包摂される人々の日常、浮かれた若者たちと自然を全身で享受する幼き兄弟。そしてヴァカンスは雷雨と共に終わりを告げる。滋味。
まごう事なきシュレイダー脚本!妄信的なジャングル崇拝DIY親父が家族の災禍となる。炎から氷を生み出す機械を人間扱いして、愛でる父フォードを目の当たりにし、この人アカン!と薄々勘づいているリバーの視線。>>続きを読む
輪廻転生した元夫ショーンが子どもの姿でキッドマンを訪れる。妻を深く愛しているからこそみずからの存在に疑問を抱く(生前の彼は浮気していたし、義母であるバコールにも嫌われていたことが発覚する)皮肉。とはい>>続きを読む
穀物による生き埋め殺法、ドライヤーの『吸血鬼』かよ!再び無垢な心で映画を楽しみたい、そんな夏。
ファスビンダーの戯曲『ゴミ、都市そして死』をシュミットが映画化。
高架下の街娼たちの哲学。会話は人物たちの反応の触媒とはならず遺棄される。つまり独白。ファスビンダーのDV男はより強い男たちに寄って蹂躙>>続きを読む
蠢き、重心、その執拗なまでの演出が純化している。むしろそれしか残っていない。彼岸の世界を行きつ戻りつ。
『close』というタイトルはまさにレオに寄り添うカメラの親密さだと感じた。どこまでも被写界深度の浅いショットの多用と場所を知らせるエスタブリッシュメントショットの排除。説明は言葉でも映像でもことごと>>続きを読む
自らを映画に奉仕させ、恐怖という対価を得る!みたいな作品。某シネコン会員登録の強制参加型広告みたいな誦経!「あなたは呪われた!」みたいにされると萎える。スペクタクルは過剰、それより慎みを。『SIREN>>続きを読む
「人は家畜やペットを見て、愛おしく思うと同時に哀れやなぁと感じるものだ」と町田康は語っていた。映像の編集によって、我々はEOの内面とは関係なしに物語を構築する。その視線は虚空の中である。言葉を持った人>>続きを読む