ミッチャム演じる偽伝道者の悪意は翳りがなくて素晴らしい。聖歌503番『Leaning on the Everlasting Arms(主の御手に頼る日は)』を口ずさんで街灯の下、ハーパー家の庭先にある>>続きを読む
光量が足りない真っ黒な湖の死体遺棄からオープニングタイトル!痺れる。故人の部屋が開かずの間になり、ハイハイ・ベイビードールのジャンプスケア!ルイーズ とケーンの見分けがつかなくて困惑。あと唐突な妹風蝋>>続きを読む
オートゥイユの受け身演技。ラヴェルの楽曲を録音する過程で知り合う2人。バイオリン工房で見る見られるの視線が反転し、べアールさんの愛は燃え上がる。アイラインと真っ赤なルージュで、いつメン書店員ブルージー>>続きを読む
ボンボンオートゥイユは病み上がり。張り切って出張、いきなりボネールさんに一目惚れ。ボネールさんの小間使いとしての慎ましさはあっという間に覆されファム・ファタールに。パーティーの翌日、片付けをしてすぐに>>続きを読む
復讐の成就すらもどうでも良くなった人間。寺島さんの死体を遺棄している最中に、遠くに白い布に包まれる何かが映り込む。これは『回転』における幽霊のポジション?七分丈のパンツにブーツの阿部サダヲはローラース>>続きを読む
ここに来て90年代のお箱であった世界に悪意を撒き散らす映画を復活させた黒沢清の無意識は時代と寄り添っている。オリジナルは廃工場にてやたらと白い光が差し込んでいる印象だったが、今回解体部屋は画面外にある>>続きを読む
どこまでも白昼の下起きる事件。夜に教室から外へ出ると駐輪場でこちらを真正面に凝視する少女の視線に貫かれる。スナッフムービー撮影部屋は黒沢的空間でした。その映像はビデオの細かな液晶にまで分解される。仕込>>続きを読む
故人の治療の一環で録音された他者に聴かれることを想定していなかったであろう、内省とプライベートな肉声を聴かされる。何という孤独。マーロンの自己憐憫に満ちた回想録を見るにつけ、タヒチに憧れたのはコロニア>>続きを読む
一人芝居、身体を通して現れる何か。例えば、終盤医師マイケルが痛飲するウォッカ。嚥下する際の筋肉の動きのあと、その空き瓶を愛でながら拭う動きは一続き。搾取され続けたアイヴァンの余生に寄り添うソニア。それ>>続きを読む
労働の等価性。ランズマン的表象の不可能性。取り返しのつかない事後。惨劇を保存するためのメンテナンスも労働。ブルシットな仕事と麻痺する感覚と拒絶。誰にも寄り添わないカメラ。ボイラーの後ろの様々な音は、ア>>続きを読む
冒頭、営業時間が終了したモールから男女が行き交う、情報過多!男たちの視線が二層重なる。スコットランド民謡とストリップ嬢がいるキャバレーの虚ろな躁状態。地獄の飲み会。閑古鳥だが5人の従業員、そんな電気屋>>続きを読む
柳太朗演じる富田蔵人高定が京都西山で田舎暮らしで呆けている顔がヤバい。そして千恵蔵演じる前田利長に嗾けられ、槍を手にした途端イキイキ。止められない。どこまでもひろみを想う千景のいじらしさ。帰った時には>>続きを読む
監督のブリエの父はかの名高きベルナール、爺さんなのに階段の上り下り大変そう。そんなことばかりが気になってしまう基地外しか出てこない映画。絶景の湖沼で絶世の美女キャロル・ブーケにぶっ殺される。冒頭からセ>>続きを読む
結構気持ち悪い距離の詰め方するくせに恋愛が成就するドワネル。眼前、公衆電話で破られた写真を繋ぎ合わせて発見したドロテに恋をしてしまう。つまり本人よりもそのイメージを死ぬほど愛してるってこと。『二十歳の>>続きを読む
アルフォンスとギラン、子どもの名前すらすれ違う。レオーはやっぱり多動的。そしてこの軽薄さはまるでゲームのようだ。その距離感は感情移入を拒む。この独特なルールに基づく世界はリヴェットに近い。離職して再就>>続きを読む
私的な告白。ある人を好きになると、私はその人を被写体として捉えたいと考える。それは愛というより造形的な欲望であり、最も客体化される人を一般的(ではないけれど)に好きな人と呼ぶのだろう。そう考えると欲望>>続きを読む
3人の親友が共通で作り上げたイマジナリー・フレンド。社長メイシーのハンド・ジョブな癖、本当にくだらなくて爆笑。ジョン・シナの歪な陽気さにやられる。犬の正常位とか誰が観たいんだ。ファウラーだけが彼を最初>>続きを読む
哲学の教授が正義という大義名分を背負って、自分が高揚して人生ハッピーみたいな短絡的な人間で笑う。深刻な表情でロシアンルーレット。ストーンも乗せられてほの字だけど、元鞘に戻るスピードも、夫に離婚を打ち明>>続きを読む
禅問答とポエムが混じったモノローグを自分の分身たる登場人物たちに発声させる。反復する事で確かに強度は高まるんだけど、いかにも観念的で入ってこない。スタンダードサイズの画面に男の背中が忙しなく蠢く。ロマ>>続きを読む
ひょんな事から探偵になるレオー。たまに出てくる不穏な連中。マジシャンの愛人らしき依頼主は革手袋。最期に出てくるストーキング男の深淵な告白に食らう。崇高な存在であるセリッグさんからのネクタイと手紙。レオ>>続きを読む
ドワネルは改心して、近所のレコード店へ。
コレットという映画館で知り合った女性を何度も家まで送っていくけれど、全然恋愛にはならなくて。前作に引き続き親友ルネも出てくるが、後景に。勢いにまかせ彼女の住む>>続きを読む
嗚呼、疲れ切ってレビューもままならない。
『フェイブルマンズ』みたいに実母への思慕は実らない。両親含め、誰にも優先されないドワネル。教師は抑圧の塊。唯一の親友ルネともはなればなれに。人形劇を凝視する子>>続きを読む
とにかく不穏。冒頭粂子のお店で笠さんは春男と志摩半島で心中の話。節子と信欣三の夫婦は一度も同じ画面に収まらないほど冷え切った関係。外は雪。翻訳で食い繋ぐ欣三は『宗方姉妹』の冷たいインテリ山村聰と重なる>>続きを読む
建築物のディテールと極私的な手紙のやり取りが組み合わされるわけだが、家族関係の維持のためにささやかれる愛の言葉と、仕事面でのリスペクトが綯い交ぜになって複雑。視覚的な快感が少ない分、ゴシップ的情報の開>>続きを読む
一つ一つのショットは強い。ティンカさんは常にすべてにイライラ、笑顔は一つもない。何気にカットはたくさん割るし、見飽きることはない。日常に潜む暴力、そして女性への視点。カジノの窓のない派手な照明と運動で>>続きを読む
西ドイツの文化を切り売りした異形のブラックコメディ。辛辣すぎて当時の文脈を知る観客でも笑えなかったと思う。主人公の売れない作家ラープが愛人を殺し、貧乏な凡人として軽蔑されて終わるかと思いきや、苦労した>>続きを読む
エル・ファニングが階段を降りて非常口から逃げ出す演出や、シャラメがポーカーにバカ勝ちするシーンの省略などコメディながらヒンヤリする場面が連続する。アレンによるファニングの軽薄なキャラクター描写や、母に>>続きを読む
まだかろうじて荒廃してるNYにて。バーマン演じるグルーピー(死語)としてパンクロック界の寵児と一緒になろうとするも、そもそもパンクシーンはだいぶ下火の80年代前半。リチャード・ヘルの色気は凄いけど結局>>続きを読む
仏語の原題は『妹へ』、英題は『太った少女』。邦題の『処女』そして美しき姉のロキサーヌ・メスエダがメインビジュアルというルッキズムの作為性。妹アナイスのまなざしは中世の宗教画のように鋭い。女性の肉体はそ>>続きを読む
マッソーが擬似主婦としての家事労働を引き受けるレモンに罵倒を浴びせる場面はツラい。生活のメンテナスも仕事と同じぐらい大事だよ。隔世の感。男視点があまりに強くて、イギリス人姉妹の内面のないキャラクター像>>続きを読む
完全に言行一致している巧の前で、現代人の我々は虚しい言葉を放っては無力であることを実感して立ちずさむしかない。水汲み、力強い薪割りの労働時間を丁寧に映し出すカメラ。アケルマン『ジャンヌ・ディルマン〜』>>続きを読む
Ted Curson『Tears for Dolphy』の気だるいホーンが耳に残ります。もう誰も覚えていないギャロの『ブラウン・バニー』のサントラにも入ってましたね。謎めいた闖入者によって自身の内側に>>続きを読む
凄まじい数の狂乱が只々ロングショットで繋がれる。人間はどんな場面もつなぎ合わせて物語を紡いでしまうものらしいが、それを拒絶する人生に飽きた真の酔っ払いたちの堂々巡りが続いてゆく。知識人スタイナーの家で>>続きを読む
規範を打ち破るキュートすぎるメアリーと、厳格なシスターと見せかけてコメディエンヌとしての絶妙な間で笑わせてくるラッセルのやり取りが素晴らしい。メアリーの心変わりも数学の先生の死も直接描かれない。近くに>>続きを読む
ロケーションと演出が絡み合う。彼岸と此岸。ここぞとばかりに心に寄り添うズームの連続。子供たちのケンカ中に投げられる玩具は画面外から。そもそも一家離散となった原因の父親は写真ですら一度も画面に登場しない>>続きを読む
メチャクチャ絞られた身体をしているドパルデューのボクシング場面を観られるだけで感動。只今鋭意ヒューストンの『ゴングなき戦い』を翻訳中なので助かる。モンタン(実業家)、ピコリ(医者)、レジアニ(作家)の>>続きを読む