外国人記者と地元タクシー運転手の「発信」と「運送」という"どこか"と"どこか"を繋げるという行為。つまり、それは彼らのブロマンスの育みに他ならないではないか!そして、ジャンルも繋がっていく。下町人情喜>>続きを読む
ある夫婦の、ジェンダー・ステレオタイプの崩壊による集団ヒステリー。アルプス山脈の雪原のピクチャレスクとヴィヴァルディの四季より『夏』というデペイズマン的知覚のコラージュ!不可抗力でしかないのだから、足>>続きを読む
やはり印刷機が怪物に見える。その怪物が吐き出した新聞紙は、嘘で固められた政府を砕く。だからペーパーはロックに勝つんだよ!というよりも、この世界と時代そのものがディス的。リスペクト不足で、コミュニーケー>>続きを読む
"死"に対する恐怖と欲望。(戦時下だからこその!)死ぬという恐怖と死にたくないという欲望、死ねないという恐怖と死にたいという欲望。その川から流れてくるのは、内的(精神)に死んだ男と外的(肉体)に死んだ>>続きを読む
ある夫婦の性的惑乱。夢小説への逃走という願望の果てに、円満と軽蔑を込めた"Fuck/ファック"を!乾いた現実には大きく目を閉じて、いわゆる秘密の中にこそ源泉を見る。
ロリコンの語源はさて置き、幼女に恋した変態中年男がババア(その母親)に恋され、はたや変体(態)作家が恋敵になるという面倒臭さ。しかし、案外そんなもの。これぞ"嗜好"錯誤。
会話/対話のレクチュア。
"聖なる瞬間"
映画とは本質的に、"現実の再生"だ。現実を再生して見せるものだ。物語(ストーリー)を伝える媒体に見えるが、ストーリーを語るなら、文学のほうが向いている。例>>続きを読む
アリシア・ヴィキャンデル(あくまでオスカー女優)流-タンクトップ式チョーク・スリーパー!あの飛翔力ならば、飛び技系も上手そう。あの7年、パパクロフトとトリニティへ賛辞を。お疲れ様でした。
伝統が無く、クリぼっちならば、人から奪えばいい。一国のマゾ雪達磨が起こすイノベーションは、"家族の思い出"だとほざく、アレンデールの計画的政治活動。なんて言ったって、オラフの中身はピエール瀧ですから!
リクガメに遺産を相続させたいデヴィッド・リンチが、そのリクガメに逃げられる。加えて、リクガメを馬鹿にされて子供のように泣き噦る。エロスとタナトスの関係のように、"死"への治療は"生" でしかない。月輝>>続きを読む
SNSという教会。空虚な世界、相互不理解の闇、孤独な魂の晩餐、そして祖父と孫娘のアナーキズムからなる大団円!
"ミヒャエル・ハネケのハッピーエンド"という胡散臭さ。
純白のドレスから白銀の世界まで"crimson/深紅"に染まる。幽霊という比喩(実質を備えない、または実際にはないのに、あるように見せかけたものとするならば)から、この愛という不確定さを!丘隆に於いて>>続きを読む
過ちと誤ち、そして全ての後悔を懺悔させられる。電車は遅延し、(フルートベール)駅で停車する。次の駅が見えない。乗り過ごしてしまった。あゝ、この人生救いようがないよ。
不発弾という強烈なメタファー!生薬とされる"El Espinazo del Diablo/悪魔の背骨"の胎児のラム酒漬けを飲んだところで、(スペイン内戦の!)戦時下に於ける傷は治癒できない。濁りきった>>続きを読む
子供がストリックラー病に。ならばゴキブリにはゴキブリを。(半人為的な!)地下テラフォーミング計画の末、"ユダの血統"くんのMIMIC/擬態。人間擬態!そして、人間も臭腺でゴキブリに擬態して行く。地下鉄>>続きを読む
この蔓延る"The big sick/大病(差別・偏見・抑圧)"に罹り、患って、発狂する。悩ましいことだらけ。その程度に差はあれど、昏睡状態からの覚醒を促す愛の処方箋よ!そう、これがぼくたちの大いなる>>続きを読む
はらはらだよ!(既に!)落ち目の子役、女優になれない。才能もあまり無い。反抗もされる。強要もされる。彼女の人生、はらはら。はらはら、はらはら、はらなのか。原菜乃華。
吸血鬼の幼馴染と魔法を信じる少女。光遊びが照明技師へ、そして灰色の世界を照らしていく。いいにおいはしない。いや、するはずもない。でもいいにおいにさせることはできる。人生を映画のように。あ、いいにおいが>>続きを読む
森と館と蠟燭と、そして退廃にひとりの男。畑を耕し、水を汲み、家畜を育てる。その夜伽に於いて、彼女たちが覗いてしまったらもう終わり。"欲望のめざめ"によって性に触れる。枝を折る、木を切る、茸を取る、転落>>続きを読む
原題:『When We First Met/私達が初めて出会った時』と邦題:『理想の男になる方法』の対、つまり、過去の回想と未来の先見という恋愛タイムリープもの。すこぶるウザい。アダム・ディバインとい>>続きを読む
疑似家族に於ける繋がり、いやはや"性/セックス"という通過儀礼をポルノグラフィティとして捉えるということ!70年代(という設定の!)への固執。引き金で死に、ダイヤルで蘇るように、エディがダークとなる。>>続きを読む
兄弟という異物、喧嘩という愛情。生き方の相違、平等と不平等、"恋とな"には夜の中にある深い青を忘れていた。飾り合って、絡み合って、壊れたって、生きていたんだ。いや、生きてたんだ。綺麗だからこそ、嫌いだ>>続きを読む
憎悪と恐怖からなる怒りの外在化。男性を介さないどころか、サイコ・プラズミックという療法によって起きる奇形・肉体心理学的妊娠!そこで産み落とされるブルード、その詩美的なグロテスクたるや。これは隠喩などで>>続きを読む
1848、心霊主義と共産主義、オカルトとファシズム。恐怖的郷愁を語りながら、ボリシェヴィキ党歌を(スターリンとレーニンも一緒に!)朗らかに歌う、革命と転生のライブ型エンターテイメント。唯心であり、唯物>>続きを読む
アンドレ・ブルトン、ジョルジュ・フランジュ、アンリ・ラングロワらが、"幻想や詩的なものは現実のなかにある"と言ったように、競泳選手ジャン・タリスの(インタビューを基にした)水泳教材でありながら、彼がプ>>続きを読む
保養地ニースの活写!椰子の木と波打つ海、富裕層と貧困層、つまり「à propos de/〜について」とあるように、客観的表現を映画に従属させること、それも(ドキュメンタリーとされるが)映像スケッチとは>>続きを読む
マカロンカラーの中で、マリー・アントワネットがUKロックを聴く。教科書には載らない(例えそれがファンタジックで"歴史的"なものでも)事実。なぜなら彼女も人間なのだから。決して肖像画のようではない。同じ>>続きを読む
失われてしまった規範。ここまで弛緩し、崩壊してしまうと、無秩序な葛藤で己を殺し始める。その攪乱状態は一個人に留まらず、社会に於いても発生する。そんないわゆる"アノミー的環境"での、孤独な男女のロマンス>>続きを読む
愛国主義と例外主義、そしてポピュラー音楽とアメリカ国旗と花火。ハーフタイム・ショーとイラク戦争が、英雄と兵士が、映画と現実が、"永遠の一日"として曖昧になる。あのチアリーダーの言葉!もう冗談も良いとこ>>続きを読む
"過疎化した田舎町と受刑者の仮釈放との補完"から社会派リアリズムを見せておきながら、そんなもの全てぶっ攫うような詩的ファンタジー。この物語と人物の不安定さが(吉田大八監督的な)"信じること"に集約され>>続きを読む
cancan!Chahut!
ゴシップとスキャンダルの騒がしい恋模様が"踊り"に集約されていく軽妙洒脱なミュージカル・コメディ。願望など知るか!団員でなければ出ていけ!そう、踊れ!踊れ!
いわゆる"義務的"な関係が、ある決断によって、"絶対的"なものへと変化して行く。原題の通り、3世代を描き、またレイについての物語として、混乱から愛によってイノセントなファミリー像を打ち出す。大きすぎる>>続きを読む
反撥、食人、そして純愛の、穢れなきガールズ・ムーヴィー。少女のめざめ、つまり"性"という成長、またそれに対する通過儀礼をグランギニョルとして(しかもカニバリズムというタブーで!)捉えてしまえるなんて!>>続きを読む