スカーレット・ヨハンソン(ニコール)とアダム・ドライバー(チャーリー)の表情はいいけれど、それよりも人物を構図の真ん中に置きつづけている。例えば、それが小津にとってクローズアップであり、ノア・バームバ>>続きを読む
孤独になりたくない。歳を取りたくない。無責任でいられる状態を捨てたくない。だから「自分の時間が人生の延長のような気が」する。留守番電話の虚しさ。その停滞していた人物が気付いてしまったとき、左方向の移動>>続きを読む
ほんとうに稲妻のような速さ。それを中断させる(ようにみえて、じつは逢瀬を続行させることのほうが遅さになる)邪魔という反復→「女は秘密を隠せない」という保安官は分かってないと思った。その見せかけを暴くか>>続きを読む
ストローブうるさい。フィルムのカッティングは夫婦関係が切れることを象徴させてしまいそうである。しかし、天才は忍耐力であれば——その忍耐力は優しさと暴力という矛盾に満ちていて、永続的な時間に生まれるため>>続きを読む
喪に服した人が家を修復する、ということが2019年の私事であった。ペドロ・コスタの講演・断章=この映画の撮影はリハーサルを含め一年をかけた。自分は何が撮りたいのか?ではなく、自分の撮りたいものをどう撮>>続きを読む
ずっと接写の緊迫感。ラストでは少しカメラが引いた後に、下方向へのパンをする。余命という残された時間を刻みつづけたであろう鳩時計から飛び出した鳥の死骸が映し出されていた。作用的に言葉を伝えられるのであれ>>続きを読む
「なぜ双眼鏡で見るの?」→「近くに見えるからよ。遠くない物も。私の魔法のつもり」。ウェス・アンダーソンの正面性(と距離の処理)。だからフレンチキス(から夜のロングショットで回避されたであろう事後)や強>>続きを読む
パワハラのシーンで会場に笑いが起こったときはもう帰ろうかと思った。『パーフェクトブルー』というか『インランド・エンパイア』(デヴィッド・リンチ)というか『ブラック・スワン』にいたっては主人公の名前が”>>続きを読む
愛の概念=「別にどうってことない」→「うわ…なんだこれ。すごい」。概念を奪うときの正面性から破綻していた夫婦の侵略を眺めるシーンの視線の等方向性に関係修復を願うが、二ヶ月後のシーンの交わることのない視>>続きを読む
ほんとうに可愛い映画。いつかアンナ・カリーナが履いていたストッキングを被って強盗をするんだ!!
光は、闇があってはじめて光になる。「光をにぎつてゐる(…)此の掌をあけてみたら からつぽではあるまいか」というのは、掌をあけてしまえば、掌から闇はなくなってしまうからである。とすれば、掌をにぎって闇を>>続きを読む
3DSのゲームをやったことがあったり、自宅には”ねこ”と”とかげ”のぬいぐるみを置いていたり、マグカップや文房具も買ったりする程度のすみっコぐらしユーザーです。居場所なんてないすみっコたちがおとぎばな>>続きを読む
カフェにおいてマリカ・グリーンが気を引いてくるのであれば、彼女の腕をとって、突然走り出して、キラキラ恋愛映画が始まってもいいと思うけど、主人公が注視するのは隣席に座る人物の腕時計。つまり、ブレッソンら>>続きを読む
善悪それ以上に、クローディアの母のように「ついに分からなかった」と諦めてしまうことがいちばんよくないと思った。
報告を受けた岩下志麻は俯いてから笑みを浮かべる。酔っ払った笠智衆は(映し出された)階段を見上げてから涙を浮かべる。そんな父娘の物語。ヤカンから注いだ水を飲む。その味。ビールやウィスキーとは似つかない。>>続きを読む
ショーウインドー越しの切り返し。ルーシーは人形を。中国人青年はルーシーを。視線がまじわらない。店前の切り返し。悪の目⇔ルーシー⇔中国人青年の、見る→見ていない(目をそらす)。視線はまじわらない。ほんと>>続きを読む
飛行機くらいフワフワしてる2人。運転する吉永とゲーセンにいる少女の切り返し。階段を上る吉永と階段を降りる少女の切り返し。そして、吉永が未来(少女にとっては過去)のホームビデオを見ている切り返し。その編>>続きを読む
バーカウンターにおけるイマジナリーラインの侵犯。なぜ侵犯をするのかといえば、福山雅治と石田ゆり子の間に桜井ユキが割り入る(彼女にとって関係性を壊そうとすることに他ならない)からだと思う。つまり、福山雅>>続きを読む
このレビューはネタバレを含みます
服役を終えたアマドールと母親の切り返し。そのアマドールの孤独さを象徴するようなガリシア地方の気候や景観。ブルドーザーのフレームイン→主観ショットと客観ショットのモンタージュ→大樹へのトラッキング。森が>>続きを読む
「盲目がいい」
「なぜ?」
「真剣に聞くようになる」
「どうして?」
「言葉の伝達だ」
一応のヴァカンス映画に若者の(政治的な)ファナティックさが包含されてる。たのしい。
亡命→アナ・デ・アルマスと結婚。ペネロペ・クルスといってらっしゃいのキス→亡命。アサイヤスらしい越境によるラテン系美女たちとの愛憎が続いてもいいなと思ってたけど、「WASP ネットワーク」が紹介されて>>続きを読む
少年が異質なものとして排除され続ける。その映像表現における染みがいい。例えば、焼け跡を通過する飛行機(のちに正体が明かされる)、ババアの小便、両眼を抉られた男、空を舞う鳥、司祭のハンカチ。題には「pa>>続きを読む
物(事柄)を語るということが持つ力強さを感じられた。竜と闘った兄弟の伝説や子供を亡くした親たちの体験談。ミンダナオ島の苛酷な紛争のなかで生きる人々の様式それ自体も。例えば、結末までいけなかったのは、そ>>続きを読む
インタビューらしき映像が流れている画面の両端に、引用されたと思われる作品が並べられた棚がある。とりわけ主題に感じられたのは『眼球譚』、つまり、バタイユ。「神は味方/神と踊っている」というように、パーテ>>続きを読む
ピンキー・アマドアのQ&Aで語られた「博士がやろうとしていることは未来へと進むために過去を振り返っている」が核心に思えた。それは高橋悠治のロベルト・シューマン論=「ふりむくことは回想にひたることではな>>続きを読む
1回目はドキュメンタリー映画として。2回目は吹替+消音にしてリュミエール作品群として。幸せすぎてつらいってこういうことを言うんですね。
ホテルから列車。「ところで英国は?強風?そんな事じゃない。クリケットの試合だよ。知らんだと。それでも英国人か」→英国人の諜報活動。騒音被害から暗号→メロディによって結ばれるカップル。子牛の箱のなかに隠>>続きを読む
ファンタスティックとは説明のできない出来事。それはMr.フォックスにとってメリル・ストリープの艶かしい声で伝えられる「妊娠したの」であり、作られた家族と対置される「野生」である。ましてやウェス・アンダ>>続きを読む
「じっと見てると向こうからも見返されてるような気がしますね」→「まっすぐ見つめたことある?」→「ふたりでまっすぐ見つめ合ってきたまえ」→「一度(…)まっすぐ見てみたい」→「まっすぐ見る?」
まっすぐ>>続きを読む
あの自分が一番いいとき。あんな時代が。あの自分が人生の春。それ(ボート)を、つまり、運動する対象(汽車)を見逃さないようにするまでの視線の映画。トラックに乗ることによって視線の等方向性に抗ったときに”>>続きを読む
ジコチューなヤツらが、誰かとどこかで「クソ」と言うことは自己批評的に見える。だからこそ自分も、どいつも、こいつも、くだらないけど、「すいませんでした 許してください」と言えたことがみのりは偉い。ポテチ>>続きを読む
スタージェスたのしい。ご都合主義から世界情勢モンタージュ。六つ子の誕生→シャンデリアに頭をぶつけて消失した時間で六人の男から輪姦されたということ?
チャーリーという名前で二重化している叔父と姪が、トリュフォーが指摘したような双数的関係、もっとも善悪の二元論であるのは、写真についての会話——「頭蓋骨を骨折して 長い間 寝たきりだったのよ でも回復し>>続きを読む
トッド・フィリップス制作。つまり、『ジョーカー』以前の都市伝説誕生譚。禁止を課していた父親が”伝説の夜”を許すどころか、褒め称えること。そのバタイユみたいな過剰さ。だから『ジョーカー』とはベクトルが違>>続きを読む