男とは他人を殺すことはできても、自身の内なる子供を消し去ることはできない生き物である。
ここに出てくるギャングの一味はといえば、下らない遊びや賭け事に興じてばかりいる。
そんな彼らにとって盗みや殺しと>>続きを読む
暴力は更なる暴力を呼び、何もかもを破壊してしまう。
しかし人の純真な心もまた、それを持つ人間を呼び寄せるのかもしれない。
実の娘を虐待しているボクサーである父親の周りは彼と似たような、野蛮で他人の利益>>続きを読む
たったひとつの部屋で展開される愛の戯曲。
この部屋で我々がまず目にするものは、壁一面に貼られたニコラ・プッサンによる『ミダスとバッカス』だろう。
ある日フリギアの王ミダスは、泥酔したシレノスを助け、世>>続きを読む
我々は雄大な自然と対峙する時、その果てしない世界が全て自分のもののように感じることがある。
境界線はなく、どこまでも自由。
そこでは外からの干渉などとは無縁の生活が手に入る。
しかし人々はそこへ勝手に>>続きを読む
この映画を見ているとなにが正常で、なにがそうでないか分からなくなってくる。
軍人たちはまるでピエロのようだ。
明確な目的を伴って任務にあたっているはずの主人公も、寝言のような命令に命をかける間抜けに見>>続きを読む
我々日本人は無宗教者だと言われているが、実際には神道という独自の宗教観を持っている。
これは万物に神が宿るという考え方で、全てのものに霊魂があるとされるアニミズムとも共通点が多い。
本作ではそういった>>続きを読む
『水の中のナイフ』でポーランドにおける共産主義の実情を暴き出したポランスキーだったが、本作もそれと同じような筋書きになっている。
権力で女性を縛り付けている金持ちの男が一人の訪問者によって破滅させられ>>続きを読む
映画は日曜日から始まり、土曜日で終わる。
この7日という期間は旧約聖書の創世記を思わせる。
12年ぶりに帰ってきてベッドで寝ている父の姿は明らかにマンテーニャによる『死せるキリスト』の引用であり、その>>続きを読む
休日になると決まって船遊びに興じる一組の裕福な夫婦。
いつも通り自分のヨットがある湖に向かって車を走らせていると、ヒッチハイクをしている一人の若者と出会い、彼も船に乗せることにした。
資産家の夫婦とは>>続きを読む
この映画は主人公キャロルの恐ろしく虚ろな瞳のアップから始まる。
彼女は幼い頃に性的虐待を受け、男性恐怖症を患ってしまった。
大人になった現在でもその傷が癒えず、精神のバランスを崩しかけているキャロルは>>続きを読む
家族に捨てられ、半ば強制的に修道院へ入れられてしまった主人公シュザンヌ。
そこでは顔しか見えない修道服によって個性を奪われ、神の名のもとに人々は画一化される。
過酷な環境の中、心から神を愛し、ひたむき>>続きを読む
あまりの美しさに言葉が出てこない。
人間が生きる姿を、こんなにも大胆かつ色鮮やかに描くことができるのか。
冒頭に旧約聖書における創世記からの引用がある。
神は知恵の実を食べてしまったアダムとイヴをエデンの園の東へと追放し、罰として労働や出産の苦しみ、男からの支配、そして死を与えた。
本作の登場人物たちは、>>続きを読む
ベルイマンの『叫びとささやき』における屋敷が彼の母親の心を表していたように、今作の豪邸も恐らくはトリアーの精神世界なのだろう。
トリアーはうつ病を患っていたが、この作品自体が双極性障害でいうところの躁>>続きを読む
スウィンギング・ロンドンの真っ只中、カメラマンをしている主人公の男。
ファッションを始め様々なカルチャーが活気づくロンドンで、この男は富や名声、美女からの愛、それら全てを手に入れた。
しかし心から満た>>続きを読む
作品の配給によるとこの映画はヌーヴェルヴァーグ風とされているが、それよりもボクシング版『8 1/2』のような印象を受けた。
その主人公グイドは自分に投資し、支援する人達からのプレッシャーや期待を一身に>>続きを読む
記録媒体の発達により、それまでは基本的に映画館でしか観ることのできなかった映画が家のテレビでも楽しめるようになったが、それによって映画とテレビの境界が曖昧になってしまった。
大衆は短い時間で簡単に感動>>続きを読む
ヴィスコンティは貴族の出身でありながらマルクス主義に傾倒し、共産党員でもあった。
そんな彼のキャリアは貧しい人々に焦点を当てたネオレアリズモから始まっていくが、晩年は貴族の凋落を描いた作品を多く残して>>続きを読む
1982年、西側ドイツの作品。
舞台は戦後のミュンヘン。
女優のベロニカは戦時中ナチスのプロパガンダ映画に多数出演し、あのゲッベルスの愛人でもあった。
かつては名声を博したが、今では過去の功績にしがみ>>続きを読む
人は産まれた瞬間に名前を授かる。
見た目だけで決められた性別に即した名付けをされ、子供はそれを体現して生きることを強いられる。
ミカエルのどこに嘘があるというのだろう。
彼は正体を偽っていたのではな>>続きを読む
ジャズドラマーの父を持つコージー。
彼女の母は彼女が幼い頃に家を出て、サーカスで綱渡りをしていたと語られる。
そして大人になった今、彼女は法律やルールという名の線の内側にいる。
そこでは父や夫の庇護の>>続きを読む
7年おきにやって来る太陰年に、新月が13回巡る年が重なると、なす術もなく破滅する者が現れる…。
かつて女性と結婚し娘を授かったが、ある男の為に性転換手術を受けたエルヴィラ。
その最期の5日間を、我々>>続きを読む
旦那のセックスが下手なだけでこんなことになるなんて…。
冗談はさておき、この夫は妻のことを心から愛していない、あるいは愛を言葉にするのが苦手なのだろう。
妻の意見を待たずに子作りの話を切り出したりと>>続きを読む
ここに出てくる被験者たちは、怒りや悲しみ、後悔といった表層の感情に取り憑かれている。
そのような意識が自身の行動を決定づけていると思っている。
しかし実際に人を動かしているのは、もっと深い、無意識から>>続きを読む
ホドロフスキーの映画には、常に怒りと悲しみがあった。
紛争、虐殺、独裁、金、そして宗教。
腐敗した人間たちに対する憎悪に満ち溢れていた。
しかしそこには他の何よりも強い、父への恨みがあった。
だからこ>>続きを読む
同じ年の同じ日に、同じ才能を持って生まれたふたりのベロニカ。
一方はポーランド、もう一方はフランスに住み、別々の生活を送っていた。
いわゆるドッペルゲンガーなのだが、一般的に出逢うと死んでしまうとされ>>続きを読む
人は映画を観る時、何かが起きることを期待する。
それがたとえ、登場人物の死だったとしても。
この作品(あえて映画とは言わないでおく)には、主人公の自殺というはっきりとした目的があり、その方法がなんとも>>続きを読む
瞬間の衝動と永遠の情熱。
そして全てを超越する愛。
知性も品性もないオーケストラが奏でる狂騒曲。
なんとも儚く、騒がしい。
これが人生の美しさなのか。
彼らはどこにいても自由だ。
地下に閉じ込められ、>>続きを読む
ブニュエルが無神論者だったことは有名な話だが、彼はキリスト教という宗教が気に食わないだけで、ひとりの人間としてのキリストは好きだったのだろう。
思えば聖書はキリスト本人が執筆したものではないし、そこに>>続きを読む
本作は始まった瞬間に、不条理な恐怖の世界へ観客を引きずりこむ。
幾度も繰り返される不穏なイメージに理屈や意味はなく、ただ魔女たちが人間を嘲笑っているかのようだ。
これは人類に対する魔女の復讐なのだ。>>続きを読む
映画の舞台はマリエンバートにあるとされる一つのホテル。
メインキャストは男と女とその夫。
他には彼らを取り巻く宿泊者が大勢いる。
しかし舞台となるホテルやそこにいる人間には、生気というものがまるでない>>続きを読む
ニューオーリンズで暮らす、アメリカ人のザックとジャック。
彼らの周りの人間、一緒にいる女性や、ギャングらしき男達はとにかくよく喋る。
寡黙な彼らはそういった人達と馴染めず、争いやトラブルが絶えない。>>続きを読む
本作はロベール・ブレッソンの『田舎司祭の日記』と、ベルイマンの『冬の光』を混ぜたような作品だ。
意識してあえて寄せている箇所も多い。
ポール・シュレイダーはこの二つの作品に、タルコフスキーをも引用して>>続きを読む
煙と言葉。
どんな銘柄の煙草を吸おうとも同じ煙が出るように、口から出た言葉はそれが例え嘘であったとしても、言葉には変わりない。
その言葉というものは、まるで残り香のように人の心に留まり続ける。
煙の重>>続きを読む
全て忘れてしまいたいと思うだろう。
後悔に苛まれて、眠れない日もきっとある。
いっその事子供さえいなければと、頭をよぎる瞬間があってもおかしくない。
しかし悲しみから目を逸らしている内は、文字通り前を>>続きを読む
マレンやリーのような人達にとって人を食べるという行為は、れっきとした欲求だ。
本能に基づいた、睡眠や性欲と同列の、第四の欲求なのだ。
野生の動物にはない、人間だけが持ち得る感覚とも言えるだろう。
彼女>>続きを読む