グロくてバカバカしくて速くて最高。歪んだミニチュア世界のカートゥーン的な倫理観。死後の世界があるからいくらでも死んでいいってティム・バートンはジジイになってもガキ。いつの間にかジョー・ダンテになってた>>続きを読む
善があれば悪もあり、光があれば闇もあるような、天使と悪魔の勝ち/負けの物語、全てが二項対立であり、ドイツ表現主義の過剰な白黒画面はファウストの葛藤の振り幅を激しくさせる。そんなハッキリ分かれた2が1に>>続きを読む
事故していないのにいかにも事故したみたいな、事故を想起させるような編集をしていて、事実と事実じゃないもの(嘘ではない)の淡い間をずっとフラフラしている不安定なドライブ。何も起こっていないのにサスペンス>>続きを読む
前半の、稲の不作と天候を検証していく1時間以上は退屈といえば退屈なんだけど、丁寧にリストや表にまとめられた仕事ぶり、村人に図解として示す手つきは不思議な魅力がある。ナレーション以外にも小川紳介の声がや>>続きを読む
映画史が始まるように列車の到着から始まり、全くどうでもいいテレビコマーシャルで終わる。映像の歴史を上書きする下品なテレビ。CMによって需要を高め、過剰な供給は街にゴミを溢れさせる。モノマネ芸人というの>>続きを読む
オーケストラの優雅でブルジョワ的なイメージから排除される、演奏者の一人一人は楽器という資本を持つ労働力であるという側面。みんな野蛮で反抗的。雇い主と労働者の闘争であり、指揮者(神)と演奏者(民衆)の対>>続きを読む
面白い情報と面白い映像がいっぱいで、理想の映画の形だと思った。記録という大義名分で、直感的なかっこいいショットを撮りまくってる。機関助士のお仕事模様がアクション映画のような編集、180°素早くブンっと>>続きを読む
下手なトランペットから始まり、叔父の背もたれを倒す長い間、森を走るゴルフカート、状況と場所のズレはシュールなお笑いになる寸前の奇妙さで留まり続け、文字通り主人公らの道を塞ぐ異物のような大きなトラックは>>続きを読む
畳の上に直に残飯が載せられているのは生理的な嫌悪感があり、その強烈さは『まひるのほし』のシゲちゃんのアレと同じで「アート」とは?という問いを残す。ただ、アート云々以前に花子の母にとってはコミュニケーシ>>続きを読む
魅力的な顔とその裏に隠された個人の歴史。当たり前の正しさは口汚い台詞で照れ隠しみたいに潜んでて、最後にガッチリ握手する瞬間にその正しさというか人の善意みたいなのが剥き出しになってて泣いちゃった。メアリ>>続きを読む
撮影が凄いとか印象に残るショットがあるとかではなく、全く平凡なミディアムショットの積み重ねが地味な物語を静かな地響きみたいに持続させて、神経衰弱のクリス・ペンと静かなウォーケンの演技で夜の空気が張り詰>>続きを読む
脚本に終始して画作りに無頓着とすら感じる、編集の変なズレ(切り返しでリュディヴィーヌ・サニエの距離が急に近づいていて画面外からヌッと手が出てくるところとか)や赤いだけのオープニングが俗っぽすぎる物語に>>続きを読む
目的のない運動のスケッチ集。意味不明なトレーニングで延々鍛え続けるだけの実戦に使われない道具と化した兵士は、発射されない銃と同じ、非機能的モノ。溜め込んだ肉体のエネルギーはダンスで孤独に暴発する。
綺>>続きを読む
「プレイタイム」のような未来でサイレント期のようなスラップスティック。行き過ぎた未来は戻り過ぎた過去と等しい。
未来を舞台にすることでウディ・アレンが跳んだり跳ねたりする理屈をすっ飛ばせる利点。全ては>>続きを読む
住民が話す言葉に字幕がないことから、前作とは全く違う目的で作られたことが分かる。何を話していたのかはどうでもよくて、言葉を発する/発しないが存在の問題に関わっている。抽象的な映画についての映画。前作で>>続きを読む
大学の授業以来の鑑賞。あの時はピンとこなかったけど、今回の特集上映で見て心底感動した。トークショーをまとめた『佐藤真の不在との対話』を読んだら同じように歳とって再見してから影響を受けてる人が多いみたい>>続きを読む
大江健三郎のフィクションとノンフィクションが曖昧に混ざった作風が、エッセイのような物語としては過剰な緑や非現実な美術セット、唐突なCGという戯画的な画作りによって表現される。前半は顔に緑の木の影が揺ら>>続きを読む
現実のアメリカを創作のキャラクターが旅する。なぜロバート・クレイマーのカメラだけではなく主人公を立たせたのかを考える。カメラとアメリカの間に人物がいて、リアクションを手前に映し出す。ひとりの人物が船か>>続きを読む
サイレントで撮られたフイヤード版の美しさが時代性も込みというのを無視し、時を超えても意匠をそのまま取り入れてしまったがゆえに生まれる幻想というか不自然というか。フェードイン、フェードアウトで全体のリズ>>続きを読む
HBの鉛筆で斜線引きまくったみたいな濃い黒い雨と雷に打たれて折れる木が凄い。あと家政婦の自殺シーン。落下が映ってなくても、人物と木のシルエットが死そのものでしかない。
シュトロハイムの唐突な死体も怖い>>続きを読む
銃、女のケツ、刀、マスク、悪魔、殺し屋、スポーツカー、究極の軽薄というか、全編サーモグラフィを採用したことにより1秒も欠かすことなくかっこいいものしか映らないことに成功。超快楽主義。考察も思考も受け付>>続きを読む
美術セットと過剰な照明の虚構の世界。主役2人は明らかに主役とはいえない華のなさで痴話喧嘩も全くどうでもよく、主役の貧相ぶりが大掛かりで煌びやかなラスベガスがハリボテの嘘でしかないことを強調していくとい>>続きを読む
父の口から語られるシゲちゃんの母親の話が急に断絶され、シゲちゃんが海に向かって「みんな元気か〜?」と叫ぶ、露骨に作為的なカットの繋ぎ方で、何か頭の中がぼーっと熱くなって、そのあとシゲちゃんがモジモジし>>続きを読む
土着的なファンタジーの前半、時が変わり労働のモンタージュが激しい後半、別々の映画みたいにバラバラになったフィルムを串刺しにしてまとめるじいさんの存在。支離滅裂だけどずっと面白い。年配の男たちが大地を行>>続きを読む
「大地」というタイトルなのに大地を映すというより、地面から人間を見上げるような仰角のショットが多い。稲穂の揺れをひたすら映す冒頭とその後の人間の顔は、大地と人物の切り返しでもあり、大地の視点が獲得され>>続きを読む
チェスは人間どころか国も滅ぼす、というワンテーマの不条理コメディ。猫がいたる所から湧いては放り投げられ、チェス盤はマトリョーシカみたいに無限に服から出てきては捨てられる。薬の瓶と間違えられたチェスの駒>>続きを読む
手招きに誘われる幻想的な上海ではハリウッド的な善悪二元論も勧善懲悪も通用せず、ジャンルとしてはノワールっぽいけど、ジーン・ティアニーを堕落させるヴィクター・マチュアがファムファタル的な役割で男女逆転し>>続きを読む
『東京物語』じゃなくて『東京暮色』の「東京」。人が冷たくて救いがない。ミニマムな男女ペアの人物設定で、丸みがある田中絹代とシュッとした岡田嘉子の対比。東京の女は岡田嘉子で田中絹代は東京の女じゃない。
人物があっち向いたりこっち向いたり立ったりしゃがんだりしながら言葉を発する不気味な映画マシーンみたいになってて、会話というより独白に近い個人の説得力だけはある言葉の応酬は人物の向きと同じで全く別ベクト>>続きを読む
銃撃戦なのにリー・マーヴィンの胸元に赤い花が挿さってる時点でおかしいと思った。茶色い田舎に真っ赤な血、緑の草木に全裸の肌色、溶け込まない色彩感覚。異物の存在が歪な形を作っていて、発情一家にいる強盗も、>>続きを読む
下元史郎の夢が叶うまで一直線。妄想か?ってぐらい、何の苦労もなくゴール。変態に優しすぎる。60分あっという間に終わるのでアッサリした印象だけど、カメラは全部間違いない位置にあったと思う。
歩く映画。クリス・ロックはこれを撮っただけでも、ウィル・スミスより偉い。
ガイガーカウンターの点滅が激しくなって緊張が最高潮まで高まったその瞬間に停電→ドリーで近づいて扉バーン→放火、最高!ジワジワと対峙が近づいていたのにその時が来たら途端にスピードが上がって解決してしまう>>続きを読む
老人と明らかに浮いてるゲイリー・クーパーのぽかぽかの散歩から始まる、面白いけどぬるいスクリューボール。相対する存在としてのギャングと香水臭そうなバーバラ・スタンウィックでいい塩梅に。仕事場の並びが舞台>>続きを読む
日本人がこれ見て喜んでるのはどうかと思いつつ、それでも圧倒的に面白いからしょうがない。やけに黒黒とした画面は、密度と運動量がかなり多い。戦闘機の映画ってことでトップガンみたいなの想像してたけど、操縦席>>続きを読む
主人公が感じている耐えがたさをそのまま耐えがたい時間の長さと反復で見せるのは、そこに何の面白さも見出せない限り退屈が不快なだけ。ラストのカメラ目線も、つい目を逸せてしまうほど強烈とかではなくて、ただ気>>続きを読む