よくある戦争物ではなく日常側から戦争に溶け込む。最初の狙撃が日常に飲まれてから正常な時間軸(第一回派遣)に戻る、その戦争との縁取りが融解すればするほどブラッドリークーパーは戦争さに転げ落ちそうになる。>>続きを読む
イーストウッド実話再現作品群では1番では
本筋は後期のイーストウッド物なんだが、デイリリーを育て全米を回るアールがブツを運びまわる、そのシークエンスの接合が本当に滑らかに撮られていて見惚れる。
それに>>続きを読む
花束を落としたショットを挟み込んだ情緒のショットよ!
あとはずっとスーファミのスーパーマリオブラザース。行動の記録の衝動は同じやねんな。
この映画において視野の狭さは巨大な迷路に他ならない。ワンカットでの複数の顔のズームはシングルポジションのキャメラで撮る、カサヴィテス感。
愛の冥界、密林の中のような話なのだが、終始、この話にシンプルな>>続きを読む
サングラスをかけさせる序盤の展開の美しさ、並走するローファイなBGMのリズムのように。
シークエンスの切り方にもヴェンダースの墓掘人の気概を感じるが限界を悟ってしまう。しかし結局は水面、ガラスとの戯れに心奪われる。
地下鉄の闇、カツミとの追いかけっこ、パトカー白バイの疾走。
警察のプロパガンダ的な終結にはがっかり、大人数を越した塊と化した警官隊によるトダ、丸腰の古賀を追い詰めるのだ。
この映画を褒めれないなら映画を観る価値はない。
マーラがパイを食べるこれ以上ない辛さ、ズームアップしてそうでしていない。前半の圧巻さ。あとロウリーは光がいいね。
男女の接近のさせ方がうまい。物を置き続け、植木に水を注ぎ続け、独り言を言いまくるドリューバリモアの魅力さ。
あと昔の恋人の本を見つける時の視線がいい。レコーディングのシークエンスは良くってびっくりした>>続きを読む
ブラットベリビルの中は二重の扉でデビットウェインの深層である、渦巻く女性人形の足が連なり欲望と理性も渦巻き、捕まりたいと望む。そして完璧な自己舞台、独白。警察の到来でついに、画面の奥から捕らえられた彼>>続きを読む
映画を撮る必要を感じない。写真以下のワンショットが続く。全ての工夫が〝上手くいった〟程度。
フェイと精霊となった息子を光から闇で写し、生きるものを闇から光で写す食卓。
あらゆる境界は融解し二元論から遠く離れ続ける。
映画史上最も美しい入水のひとつ。
身体内外、ダブルミーニング、、、脚本の走らせ方のうまさ。また凝固術のくだりやや事件自体の回収のなさなどマクガフィンであり続けられれば爽やかに終わる美徳につながる。
某在日ゾンビ映画とは素養の違いを感じ>>続きを読む
電車の到着で始まり飛行機の離陸で終わる映画が面白くないわけがない。デニーロの背後に広がるロスの夜景は見ることのできないフィジー島の光の藻のようだ。
ダイナー背景の喧騒、デニーロとアルパチーノの間にある>>続きを読む
良い強いショットは撮るんだけど、それに満足し尽くしてる感がある。
映画的光景で馬とともに疾走する、夜景とともに病院へ侵入するキャデラック。ショットは強い。そして何と言っても砂埃、チミノの砂埃はノワールの影のように光学的効果を発揮する。
何故だかバクと唐田えりかのバイクシーンでの音楽で泣きそうになる、身を切られた。
演劇のダサさやクラブのこれじゃない感ここら辺はハッピーアワーから感じてきがこの不安、映像的な居心地の悪さこれを醸し出すこ>>続きを読む
羅列されメタ化され続ける文学、あるいは映画史の煌めき。
カリーナを新緑を背景に迫る傾いたカメラはカラーな『第3の男』ぽかった。あとは引用の際原語版上映と架かったネオン、複数のネオンのシーンの挿入のモン>>続きを読む
娘の嫁入り姿を目にした笠智衆その後のシークエンスは圧巻過ぎないか、鏡を含めた一連のショットは最高にエモーショナル。
またしても浮遊する二階と断絶した料亭の一角は並立し続け反復を繰り返す。
映画的倒置法が使われるのだけど(本をもらうとキムミニが言う→本もらう理由とか)そのあたりもホントにいいなあ。
タクシーのキムミニ、あんた可愛すぎるよ。
死んだものを探すのが探偵であり傷はもう一度傷つけられるためにある。もちろん高台には落ちるために行く。この徹底は映画的なのもを取り戻すだろう。
そしてクロウとキムベイシンガーの再会はLAでなければなら>>続きを読む
京マチ子の切り返しの強さたるや。あとは序盤の演劇をカメラが凝視するシーン、一種の胡散臭さ映画の中で演じられる居心地の悪さが最高に良い。
タクシーを捨てたマイケルマンは半端じゃない。あそこまで機能していたタクシーを捨ててからこの出来栄え、ラスト電車が去っていく画で終わらせる格好いい。あとはギラつくLAの街。
マッチを擦らないG・ロビンソンがマッチを手に取っる時物語は終わる。全体的に洒落ている。特に部屋の全ショットは完璧すぎる。
円を描いての疾走は大いなる喜び催しにはとどまらない。青春の終わり、この世からの疾走にほかならない、即ち天国の門となる。ため息しか出ない。