ooのさんの映画レビュー・感想・評価 - 2ページ目

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ボーン・コレクター(1999年製作の映画)

3.5

抑制された画面は上手くいっている。プロダクト映画の良き伝統。タグホイヤーキリウムが欲しくなる。

リバー・ランズ・スルー・イット(1992年製作の映画)

3.8

静かに美しくモンタナの日常が反復されるのだが、ブラピのざらりとした所作の妙な美しさによって死への予感が実現される。最後の釣りでの死の予感はすぐに現実となる。

(1997年製作の映画)

3.9

扉を閉じるということ。手を重ねるということ。カメラの前まで歩むこと。

TENET テネット(2020年製作の映画)

3.3

JDワシントンのスーツ力は異常。スーツバトル映画でもある。
ワンショットでは勝てないことを悟ったのか連続技で映画に迫ろうとするがいかんせん分かりにくさを助長する。唯一今回引きのJDワシントンの身体によ
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mid90s ミッドナインティーズ(2018年製作の映画)

4.1

90年代のLAを表象するスケーターというコミューンの極小を描き出した最高のブラザーもの。そしてこの最高な終わらせ方。

夏の娘たち~ひめごと~(2017年製作の映画)

3.4

土着性は濃さだと断じてしまう男の弱さが拭えない。繋ぎは神がかっていた。

王手飛車取り(1956年製作の映画)

3.6

クロードと愛人の男とのアパートでの視線の切り返し、特にクロードの美しさを増大化させるカットは屈指の見所か。26分頃まではリヴェットの趣向の片鱗が見え隠れし、さらには女性への目線の上手さが見え隠れする。>>続きを読む

やさしい女(1969年製作の映画)

4.5

決定的場面に常に遅すぎるカメラ、すなわち曖昧さ、不確かさを産むこと自体が映画である。
石鹸の手渡し、銃を向け撃たれないこと、男の自己満足、支配欲。

ブロンコ・ビリー(1980年製作の映画)

4.4

都会の靴売りが過去・カウボーイへあこがれる、それは少しも右派的発想ではない、それはシネフィル的感覚そのものである(根本的にそれは同じであるが)。イーストウッドの額に刻まれた刻印を再見させる。ラストの星>>続きを読む

かぐや姫の物語(2013年製作の映画)

4.1

かぐや姫とは大変優れたブロットだろう、時代の変容と共に受容されなくなった言語的レトリックを物語として自然と二重化された物語へとなる過程は映画とよく合う。前者の高齢出産と成り上がりと宮中への断りのための>>続きを読む

スパルタカス(1960年製作の映画)

3.1

良質な大スペクタクル。視線の効果を惜しげもなく使うスパルタカス、ヴァリニアのメロドラマは上質。

浮き雲(1996年製作の映画)

3.5

映像で語る信念は見えるが、それだけでは物足りない。しかしフィンランド通奏低音に物語を展開させきる力は見習いたい。この淡々さこそ映画を愛するがうえでの逃れられない刻印なのかもしれない。

愛しのタチアナ(1994年製作の映画)

3.8

反復する対比と孤独な男。
コーヒーを浴びるほど飲んでも彼は孤独だ、長い時間限られた空間で4人または2人で進もうとも彼はいつでも一人だ、皆があるべき場所に帰り、会えるべき場所を見つける。ただ彼は母権に帰
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風立ちぬ(2013年製作の映画)

5.0

宮崎駿のメタフォリカルな自伝である。
庵野秀明の独特で抑揚のない非声優的な声も、今の時代に差ぐわないタバコをひたすら吸う行為も、結核の愛するに新妻の前で吸うタバコも、この映画自体の時代背景や時代経過も
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はなしかわって(2011年製作の映画)

3.9

映像が話に先行するという映画のあるべき姿をしっかり行うことがこれほどまで美しい。ブルックリン橋での赤いコートの女性の自殺の告白の前、橋の隙間から見える車のシーン、さらにジョゼフのバンドオーディションの>>続きを読む

飾窓の女(1944年製作の映画)

4.0

究極の犯罪映画。改めて「映画は夢だ」。
これほどまでリチャード・ウォンリーとアリス・リード達の企みが吐露しないか懸念し己もビクビクしながら画面を凝視し続ける映画はそうないのではないか。犯罪映画のある種
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荒野の1ドル銀貨(1965年製作の映画)

3.5

ヨーロッパで展開されるアメリカ処女地開拓ものの本来的性格である荒々しさやルーズさを意図せずに観客の感覚に訴えるという点で擁護するに値する映画であるといえる。

ゴーン・ガール(2014年製作の映画)

3.0

全てエイミーの企てだと分かりハリウッドお得意のニック・ダンとエイミーのクロスカットが始まるまでの前半部のエイミーの失踪の謎をたどる物語にはハラハラさせられる。かわいそうな同情すべき夫から妻殺しの疑惑の>>続きを読む

ベイマックス(2014年製作の映画)

3.2

アメリカ版受動的ドラえもん。
主人公ヒロの心の支えとなり、はたまた心の支えだけでなく身体(ケアロボット)の本来的(これは兄タダシからのヒロを救う使命とケアロボットという建前的使命も同時に与えられた)身
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さらば、愛の言葉よ(2014年製作の映画)

4.0

会話場面において一人を追って右にパンすると、左右の眼にずれた映像をそれぞれ見させることにより3Dになる特性を活用し、左右二台のカメラの内ひとつが右についていきもう一つはそこに留まることにより我々の眼に>>続きを読む

浮雲(1955年製作の映画)

4.3

端的なシーンによって構成された複数のシークエンスを作りそれを連続で展開させることによって映画を完成させている。特にシークエンスのはじまりのシーンに音/音楽の契機を写しそれを続くシークエンスの中に背後で>>続きを読む

都会のアリス(1973年製作の映画)

4.0

前半とアリスと出会う後半部とでは違う印象に仕上がっている。それは前半は比較的ヴェンダースの映画哲学「撮影(シュート)することは耐え難いものを撃つ(ショート)こと」「独り言とは独りで聞くこと」などの噴出>>続きを読む

拳銃の報酬(1959年製作の映画)

3.0

主題への執着が映画の持つ言語活動を阻害している。それは明白にさらは強調される白人対黒人の対立構図であり、犯罪映画の香りさえ混乱させる。

シンプルメン(1992年製作の映画)

3.8

シンプルに生きる。それがいかに難しいものなのか。そして“いま”のアメリカ。軽い淡彩で描かれるが心に良く届く、美しくすべてが映えて愛おしく見える。父と息子の物語を根底にハートリー作品お得意の人間関係の交>>続きを読む

夜霧の恋人たち(1968年製作の映画)

4.0

ドワネルをひたすら追う。それだけでこれほど面白い映画を作るのだからやはりトリュフォーはすごい。ピエール・レオーはまさにトリュフォーの生き写しであることを改めて意識した。何度も笑って面白かった。

アントワーヌとコレット/二十歳の恋(1962年製作の映画)

3.7

ドワネルがコレットを劇場で発見し見つめ合うことで恋を現前化するショットは良かった、そしてその反復もコレットの態度がうまく表されていてドワネルの失恋の予感が漂う。見ていて恥ずかしくなるような感情にさせて>>続きを読む

大人は判ってくれない(1959年製作の映画)

5.0

「私は教室の壁を穢した。」旧来の一部の良作を除いたフランス映画を弾劾し映画の再定義を試み、宣言した記念碑的傑作。教室でドワネルが落書きした詩を教師から文法がおかしいと指摘され怒られるなど、旧来の手法と>>続きを読む

最強のふたり(2011年製作の映画)

2.9

身体が不自由な富豪フィリップが手に入れるのは身体も趣も社会的地位も反対な男の身体。身体のない男が別の身体を手に入れるという伝統的な構図、快活で正反対の身体を手に入れそしてどちらかが滅びるまたは離れる予>>続きを読む

スタンド・バイ・ミー(1986年製作の映画)

2.6

少年期の取り戻せない感覚の再現を試みただけ。ただ 2人の涙を見せ合う反復するシーンは効果的。 しかし死体をわざわざ見せるというショットはあまりに単純で短絡的な映画的効果を無視した興ざめな部分にな>>続きを読む