ロシア系移民労働者の夫婦。妻を虐げる夫を「アメリカ市民」にする。そのためには、暴力には暴力で返し、6ヶ月ほど刑務所に放り込めばよい。釈放後は夫婦円満。アメリカ市民の完成。
キャバレーの客席を移動するカメラ。マンハッタンの摩天楼を背景にしたダンス。モーリン・オハラとルシル・ボールのキャットファイト。上品なバレエをあざ笑う観客を一喝する女性、その後拍手。
政治性は意図的にぼかされている。鮮明なのは月面着陸、演劇、映画。どれも現実逃避として存在している。現実は地獄だから。残されたジュディ・デンチが家のドアを閉めたとき、格子が牢獄のように見える。
現代はカ>>続きを読む
過剰かつ扇情的な音楽が、この映画をメロドラマたらしめている。恋人と使命を秤にかけて、最後に使命を選び取る女性。
最初、ベンチに座っている老人がカメラに目を向けるショットの異様さに緊張が高まる。口笛を鳴らした瞬間の静寂、不気味なポスター、足音、影…すべてが忘れがたい。
性的暴行を受けた女性。一生治らない傷。しかし>>続きを読む
闘牛士のルドルフ・ヴァレンティノ、悪女のニタ・ナルディ。二人の女性を愛した男性に天罰が下る。死を見物する闘技場の観客は獣だ、と言う。残された血痕を砂で隠す。
編集:ドロシー・アーズナー
自分ではどうにもならない意思によって為す術もなく破滅する。ファルハディは本質的にノワールの感性を持っている人だと思う。
SNS的な「拡散」の描写がほぼ欠落している。
自らの貧弱な肉体が動物を媒介にすることで強化されるのは、ライミ版スパイダーマンと同型。コウモリの知覚を視覚化したCG。アクションシーンは最近のマーベルの中でもカットが持続し、優れている。
吸血鬼映画で>>続きを読む
原爆、マッカーサー、群衆のモンタージュ。パンパンとして混乱期を生き延びた女性たちが、高度成長期の日本で「肉体的に」取り残されている。
生きるのが面倒になったから死ぬ。降りしきる雨も、人物が死ねば止む。>>続きを読む
時代劇をそのまま、何の躊躇もなく現代に持ってくるため、虚構性が際立つ。が、『デュエル』にあった虚構の煌めきは感じられず。
海岸では常に誰かが死ぬ。『Out 1』の延長。
いかにも木下惠介・山田太一的な情緒性がある。主演の内藤洋子、まるで着せ替え人形のように衣装がころころと変わる。乙羽信子がブラジルへの移民者として出てくる。
人間、動物、自然がほとんど均等に画面に映る。大雨に打たれながら大木にしがみつくことの気持ちよさは、都市生活者に想像できるものではない。風が吹き、木々が人間の行く道を導く。自分の道は自分でなく、自然が決>>続きを読む
戦闘機の銃座から動かない。密室の中の息苦しさから開放された瞬間、一気に荒唐無稽さが噴出する。
女性がグレムリンを殴り続けているうちに、だんだんグレムリンが可哀想に見えてくるのが新しい。
カメラが異常に動く。空撮はいいとして、室内、さらには救急車の中でまで上下左右に動かす。意味はない。カメラは常に動かしていなければならないという強迫観念でもあるのか。
基本的に接写、接写、空撮、接写。ア>>続きを読む
人物を殺害するときは、常に突起物を肉体に突き刺す方法がとられる。セックスとは暴力であり苦痛だ、と言ってる。
肉体の老化による爛れ、妊娠による変形を拒絶する人物たち。肉体の醜悪さが強調される。映画全体が>>続きを読む
妄想の世界では、画面全体が青くライティングされて水面が反射し、常に人物が水の中にいるような演出がされている。学校内には奇妙な水槽。老人が殺される瞬間には金魚鉢が壊れ、金魚が死ぬ。人間が、水槽の中から大>>続きを読む
父親は最初、アネットのことを人形のようにしか見ていないが、すべてを失ったあと、はじめて彼女が人間に見える。当然、そのときには何もかも手遅れで修復不可能。
そのまがい物(人形)の舞台が人間のそれよりスペ>>続きを読む
糸の切れた風船のように、常にカメラが動いている。ショットが定まらない。ギークに成り下がることの幸福まで描いたオリジナルの方が優れている。
瓶詰めの奇形胎児には『デビルズ・バックボーン』の記憶がある。ケ>>続きを読む
猫の自由奔放さと人間の窮屈さとが対比される。猫は映画のなかで、人との関係性をつなぎとめる、または複雑化する磁場のような機能を担っている。不安定だった人物間の関係も、一人一匹猫があてがわれることで安定状>>続きを読む
古本屋では安定していたカメラが、結婚前の男女の部屋ではブレ始める。人間関係の緊張感と同期している。コミュニケーションの方法としてLINEと手紙を使うが、映画は手紙を推奨しているように見える。人の道から>>続きを読む
「発掘」と「爆発音」の組み合わせに強い政治性を感じる。カメラは人物と常に距離を保っているから、人間の内面が掘り下げられることはない。発掘されるのは人骨、死者。
他人と会話しているようでまったく意思疎通>>続きを読む
雨、車のヘッドライト、殺人、忌むべき過去、といったノワール的記号。馬鹿馬鹿しい謎解きと安易なサイコパス描写が映画を非ノワール化している。バットモービルのエンジン爆発のタイミングがややずれている。
バッ>>続きを読む
土埃が吹き荒ぶ荒野のような競技場を去り、家の玄関の下に隠した拳銃と20セントを見つけるロバート・ミッチャム。カウボーイはすべからく暴力的だが、喧嘩をしても競技前には視線で友情を確かめ合う。自分で金を稼>>続きを読む
大きな喪失を体験して家に引きこもり、自分の殻に閉じこもる。この自閉的な空間に風穴を開けるのがトランシーバーとカセットテープ。やや『ドニー・ダーコ』。カットを細かく割ってオブジェクトを次々と見せていくの>>続きを読む
豪邸内で人間たちが狂ってゆくが、室内の閉塞性は際立たない。反対に、風景の中に人物を置いたロングショットが頻出するため解放感の方が強い。ここにはブニュエルの、ブルジョワジーを密室に閉じ込めて八つ裂きにす>>続きを読む
上流階級の人間たちに宿る醜悪さを暴くテーマは前作を引き継いでいる。少し、映画がイメージに溺れているような印象を受ける。
蝶の標本(死骸)で自分のアイデンティティを取り戻す。生者とでは自分を保てない。
禁域に足を踏み入れなければ宝には出会えない。規則を破り、川を横断し、フェンスをよじ登る。しかし、足を踏み入れたからといって宝にありつけるわけではない。そこには失望もある。
子供に対する眼差しにトリュフ>>続きを読む
建築を学ぶ主人公が、建設する人ではなく、壊して踏みにじる人として描かれている。むしろ建築を諦めた父親世代が、人との関係性を修復する役割を担う。棺を製作することで悲劇を予告する。妊娠した女性は階段の上、>>続きを読む
遊園地、重力から解放されるあいだだけ、幸福が訪れる。地上には住む場所(nest)がない。
接着剤で絵が修復される過程を丁寧に撮る。nestの崩壊を誘導する描写。
ロングショットを多用することで自然風景を強調するのは、それと対比される人間の醜悪さを際立たせるために他ならない。
差別することの切実さ、というか誠実さを描いている点で面白い。世界を変えることは絶対にで>>続きを読む
女性蔑視かつ差別主義。弟は痴漢常習犯、兄は引きこもり。殻に閉じこもる、読む本は同じ、自分の部屋から出ないまま一生を終える。そんな人生もある。
「荒野」と名付けられた寂れた街に集まる見捨てられた人々(とゴースト)。何もない場所。西部劇を模倣して缶を撃ち、車が馬のように撮られている。最後は瞬間的にカメラが都市へ移動する。祖父の世代(男性)は都市>>続きを読む
顔のクロースアップが多い。日本社会の貧乏臭さが際立つ風景描写は面白いが、たびたび顔が邪魔をする。全体に、韓国ノワールのエピゴーネンのよう。
佐藤二朗が最後、転がっているピンポン玉を踏み潰すのか否かで緊>>続きを読む
警官を視界に捉えた瞬間にポールが興奮しているのがありありとわかる。サスペンスを作り出すためのスプリット・スクリーン。
ピーター・ジャクソン、いつかフィクションの世界に戻ってきてくれると信じている。もち>>続きを読む
彩度を落とし、異常な光量を焚くカミンスキーの撮影。ストロボの光線が薄汚れたウエスト・サイドからスクリーンまでを貫く。街が汚い。醜悪さを照らし出す光。
ロミオとジュリエットが出会う舞台の光量、あの異常さ>>続きを読む