マーク・ラファロの「I'm still here」を引き継ぐように実際の住民達と弁護士夫妻のショットが提示される。被告代理人の代理を演じたマーク・ラファロから、あるいは法廷の代理となった映画から提示さ>>続きを読む
屋外固定ショットがリュミエール兄弟のよう(駅前で写真を撮影している金子岳憲の姿はシネマトグラフをの撮影者みたい)。そんな画面に不意にポラロイドカメラのシャッター音が鳴り響くので、サスペンスが生々しく生>>続きを読む
地下坑道の鉄柵の看板に刻まれた「FRONTIERE 1919」という『西部戦線一九一八年』への目配せ。炭坑内部を移動するカメラが捉える坑夫たちの仕事ぶりやいざガス爆発が起きた際の迫力ある描写が素晴らし>>続きを読む
ジョン・セイルズの群像劇。つくづくアメリカはスピーチの国なんだなという印象を抱くジョー・モートンの黒人コミュニティをまとめ上げる名スピーチの後にやってくるデヴィッド・ストラザーンの分裂した言葉の繰り返>>続きを読む
再見。線路の向こうから炭鉱会社に雇われた殺し屋の集団がやってきて、デヴィッド・ストラザーンとジョシュ・モステルと対峙する。ジリジリと緊張感のある切り返し、そして銃声、直線的に構成されていた空間が渾沌と>>続きを読む
屋上の化学室に逃げ込んだ山本茂と浅野温子が我慢しきれず、対角線を結ぶようにそれぞれ部屋の隅で小便をした後、照れ臭そうに視線を交わして連帯感のような雰囲気が漂うシーンに感動。この直後に雨が降り出し、舞台>>続きを読む
五月みどりと風戸佑介が海の桟橋に腰掛けているショットがベスト。黒いドレスと白いシャツの対照、男を一段低い位置に座らせる人物配置、画面手前に打ち寄せてくる波面の動きなど画面内のあらゆる要素が素晴らしい。
松方弘樹が総会屋を始めるので『暴力金脈』まんまな話かと思ったら、小林旭と対立した辺りから一方的に屠られる者への無情さと憐憫が画面に浸り出す。兄を見送り夫を見送り、そして幸福になる者を見送る中島ゆたかの>>続きを読む
ゴードン・ウィリスの黒い撮影がサスペンスと有機的に結びつくのは『パララックス・ビュー』からか。
牧口雄二追悼のため再見。東てる美と伊吹吾郎の短くも切ないメロドラマ的出会いと別れの演出が素晴らしかった。
蓮實重彦『反=日本語論』をちょうど読み終えたときに観た。
「それは、何よりもまず代表の制度と理解さるべきものである。実際、代表者を欠いた民主主義というものなど誰も想像することはできまい。諸々の声が、>>続きを読む
FBI側を主人公にしているが実質ギャング映画。Gメンに勧誘に来た友人が殺され、その棺が乗った列車を見送ったキャグニーが事務所に戻り、ふと友人が持ってきた応募用紙を手に取り感傷的な素振りなど一切見せず、>>続きを読む
タイトルクレジットの背景で実験→ハルク化→逃亡生活に至る経緯を説明しきる効率の良さ。エドワード・ノートンの貧弱さやティム・ロスの小ささを画面で提示しているからクライマックスの高速で躍動する巨体同士の闘>>続きを読む
アンジェリーナ・ジョリーの二重スパイ疑惑が提示されてから建物からの脱出、自宅への逃走、窓から逃亡、駅を経由して橋からトレーラーに落下、トレーラーから別のトラックへ飛び移り、渋滞の合間を走るバイクを奪い>>続きを読む
この中編自体が来るべき長編『FLOODS』の予告であるように、冒頭に置かれた染谷将太と渋川清彦の自然な戯れは石田法嗣とのあいだにもいずれ行われるだろうと期待させられる。
過去に分岐点を設けイノセンスが守られた世界に向かったタランティーノと異なり、エドガー・ライトは過去を裁断し縫い合わせ、それを現代において現出させ見つめ直すというアプローチを実践する。鏡という一面的な視>>続きを読む
ウディ・ハレルソンとの間にもうけた婚外子を喰い殺し、ついでにハレルソンも喰い殺して復縁=結婚が成立するスクリューボール・コメディ。先に結婚式を挙げようとしたカップルをブチ殺して自分たちが結婚しちゃうの>>続きを読む
出征前パーティーのダンスでビル・ロビンソンがフルショットが映る。バックダンサーが現れ、ビル・ロビンソンは踊りながら背を向け画面奥に向かって去って行く。カメラが後退を始め、キャブ・キャロウェイの背中が大>>続きを読む
そこで終わりか〜…ってところで映画が終わるのでなかなか暗澹とした気持ちになる。内容に関係ないところでは編集部の奥の部屋の暗いところからヌッと出てくる人が『イット・フォローズ』感あり。話してる内容も不穏>>続きを読む
凄く良かった。シャベルで首斬り。ヴードゥーの仮面を被った集団に神父が襲われる場面なんかはジャン=ピエール・モッキーの『リタン』みたい。
監督であるジョン・ギリングが脚本を書いた『妖女ゴーゴン』とほとんど同じ話だが、怪物の造形は圧倒的にこちらが上。話が同じな分、パブの場面でドリーの長回しがあるなど撮影で差別化している印象。ラストで蛇女の>>続きを読む
「回り続けるサイコロ」=『インセプション』のトーテムをはじめとするノーランへのオマージュ(フルトン回収は『ダークナイト』だし、バスを取り囲むトラックは『TENET テネット』)というより先行するアニメ>>続きを読む
再見。ラストでひっそり咲いた花はどう見ても『風の谷のナウシカ』なんだが、ホランドたちが垣間見た月の刻印に対応するものとしてありそう。それがなぜああいう形になったかはいろいろ考えられそう。
再見。映画製作が進まん映画。『アメリカの夜』で助監督役だったジャン=フランソワ・ステヴナンがこの映画にも出演してる。
『ゴダールのリア王』の撮影について「なに、私の映画にズームがありましたか。」とゴ>>続きを読む
再見。人生でいちばん好き。ラストショット、一部分が赤く塗られた壁と通路の奥に見える黄色い自動車をとらえた縦構図のショットだが、自動車が発車するタイミングが完璧。
ゴダールの動体視力と運動神経の良さから成る冒頭が良い。今昔ウィンブルドンの試合の模様と観客の反応を物真似で演じ(『見知らぬ乗客』のテニスの試合を思い出す)、吸い込まれるように車に飛び込む。奇態な振舞の>>続きを読む
霧の中に浮かぶ島のシルエットがキノコの傘に見え、この時点でもうダメだと思ってしまった。島がキノコなので霧は胞子だし、途中からずっと雨が降ってるのでいよいよダメだと思いながら観ていた。脱出するためのヨッ>>続きを読む
芸術と金というシビアな主題を描きつつ、メトロポリタン美術館のフェルメールを鑑賞するシーンではそのような主題を超えた芸術の特権が現れる。絵画を前にしたときの時間感覚と思考の様態がこの映画を鑑賞する者の頭>>続きを読む