よどるふさんの映画レビュー・感想・評価 - 2ページ目

フレンズ/2匹は友だち(2014年製作の映画)

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冒頭、むかしNHKでやっていた『ニャッキ!』を一瞬だけ連想したりもしたが、それよりはるかに自然の過酷な環境が描かれていたので、「あっ、違う……」となった。『ニャッキ!』は『ニャッキ!』で「うっ……」と>>続きを読む

ダンスの中に(2022年製作の映画)

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顔を構成するパーツが一切ないデフォルメされたデザインのキャラクターたちによるダンス。表情はなくとも感情と関係性が伝わるアニメーション表現は見事の一言。音楽のがループに入ったときのの気持ち良さ。

戦いとは終わりである(2023年製作の映画)

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30分弱の尺ながら、扱われているトピックが多岐に渡るドキュメンタリー。社会の抱える問題点、多様さ、複雑さを形を変えずにそのまま切り取るための“角度”の間違いなさが作品の見応えを確かなものにしている。

ハリー・ポッターと秘密の部屋(2002年製作の映画)

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突如としてハリーの目の前に現れた屋敷しもべのドビーから「ハリー・ポッターはホグワーツに戻ってはならない」と忠告を受けることから物語が始まるシリーズ第2作。ホグワーツ内で発生する連続石化事件と、「ホグワ>>続きを読む

ダム・マネー ウォール街を狙え!(2023年製作の映画)

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ひとりの個人投資家から端を発し、団結した個人投資家たちによって引き起こされたゲームストップ(コンピュータゲーム小売店)株の暴騰が、同社の株を空売りしていた大手ヘッジファンドに多大な損害を及ぼすことにな>>続きを読む

ジャンヌと七面鳥(2023年製作の映画)

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目に見える「自宅で飼っている七面鳥」が登場してはいるが、それは見せかけだけで、実際には“内なる存在”に支配されている少女が支配から逃れようとする話。“内なる存在”に飲まれかける少女のビジュアルには生理>>続きを読む

私に触れた手(2022年製作の映画)

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親が眠る我が子にやさしく触れる様を表現するアニメーションがなんとも暖かな印象を受ける(顔を撫でる手のひらが布団の波に飲まれていく!)ぶん、後半の「触れられる」恐怖表現が際立っている。ラストを前向きに受>>続きを読む

ハリー・ポッターと賢者の石(2001年製作の映画)

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何度目かの鑑賞。改めて観ると、ハリーの“持て囃され度”の高さに気付く。逆に言うと、リアルタイムで観たときにはそのことに気付かなかった。序盤のダーズリー家における待遇との「釣り合いが取れていく」プロセス>>続きを読む

くもとちゅうりっぷ(1943年製作の映画)

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「追う者と追われる者の追いかけっこ」という内容からすると「くもとてんとうむし」でも良さそうだが、追われるてんとう虫を助けるチューリップにも顔が生えている(!)インパクトがある以上、そちらがタイトルに冠>>続きを読む

淑女と髭(1931年製作の映画)

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冒頭の「異様にオーディエンスが多い剣道の試合シーン」の“大雑把さ”で、この作品に対する居住まいを早くも崩すことになった。タイトルにこそ淑女と冠されてはいるが、この作品に描かれている女性像は、淑やかさを>>続きを読む

落第はしたけれど(1930年製作の映画)

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男子学生たちによる騒々しさの描写は『学生ロマンス 若き日』のスキー場パートを想起。こども相手につまらない見栄を張るくだりでは『大学は出たけれど』を連想した。そういえばタイトルも似ているな。逆説の接続詞>>続きを読む

その夜の妻(1930年製作の映画)

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建物の全体像を収めつつ人物をロングショットで捉える冒頭の画面構成から、これまでの小津作品とは少々毛色が違うことを早々に感じ取ることができる。中盤のズームインとズームアウトという小津作品“らしからぬ”カ>>続きを読む

朗かに歩め(1930年製作の映画)

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序盤のスリが20人くらいから追われているシーンはコメディタッチなのだけれど、そこから捻りのある展開を入れて、作品のトーンをキュッと引き締める手つきが上手い。男ふたりを主役に据えるのは監督の過去作にも通>>続きを読む

大学は出たけれど(1929年製作の映画)

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完全な形で現存するフィルムは残っていないらしく、観たのは約11分の短縮版。働き口を探している男は、「大学を出た」という自負があるため、役不足な仕事には就きたくなく、職が決まらない。自尊心もあるため、身>>続きを読む