晴れない空の降らない雨

アルプスの少女ハイジの晴れない空の降らない雨のレビュー・感想・評価

アルプスの少女ハイジ(1974年製作のアニメ)
5.0
 高畑・宮崎・小田部を中心とした偉大なスタッフたちの幸福なアンサンブル。というか、いつ観ても、ちゃんと面白くてビックリする。デーテが再訪してきてドラマが動くまで18話を要するわけだが、この最初の18話で日常アニメの先駆者どころか既に頂点極めたまである。
 最新のアニメなんてずっと観ていないけど、作画も引けを取らないと思う。日常芝居の丁寧さは言わずもがな、特に前半に多いソリのシーンは躍動感が出ているし、結構難しいことやっているシーンも多い。
 全編とおしてすばらしい作品だが、高畑勲の演出力が特に発揮されているのはやはりフランクフルト編だ。パンを駆使してアルプスの開放感を表現していたのに対し、フランクフルト編の初期では真俯瞰ショットが何度か登場し、ハイジ自身の言葉にあるように「穴の中」に閉じ込められたような状況を暗示している。
 以後の高畑作品でもよく使われる異化演出もすでに駆使されている。最初が、20話でロッテンマイヤーの説教を聞きながら居眠りしてしまうシーンだ。ハイジが夢で見ているマイエンフェルト生活のモンタージュとともに流れる明るいBGMに、ロッテンマイヤーの台詞がオーバーラップする(しかも「ドアをノックしなさい」という台詞に合わせて、勢いよくドアを開けるハイジとペーターの姿を映している)。シーンの終わりで、ロッテンマイヤーがセバスチャンにハイジをベッドに連れて行くよう命じたとき、ハイジが眠ったまま白パンを握る手を強めるのも面白い。
 この後、ハイジは起きながらにして故郷で走り回る夢を繰り返し観ることになり、ハイジと我々の気持ちが分離する異化的な演出が多用される。高畑はサディストだと思う。主人公に対して容赦がない。徹底した心理描写で、野生児のハイジが正気を失いかけるのも無理はないと視聴者に思わせる。
 人物描写も優れもので、ちょっとした会話で感性や性格を表現しているし、それが積み重なるから人物に奥行きがある(特に第1部はハイジとペーターの差を浮き彫りするやりとりにおかしみがある)。また、フランクフルト編の悪役をやらされるロッテンマイヤーの描写もよくて、子どもからすれば憎たらしいが、親から見れば決して悪人ではないと分かるように描かれている。 
 
 語り出すとキリがないのでこの辺で切り上げます。

 
■原作について
 原作を読むと、高畑らしい誠実な映像化であることが分かるだろう。原作の筋書きや描写を押さえた上で膨らませている。そのなかで目立つ変更点は、キリスト教要素の希薄化と、ペーターの性格と、クララの治療過程だ。キリスト教についてはローカライズの観点から仕方ないと思うが、ハイジがクララの祖母から信仰心を教えられ、そのハイジによっておんじも信仰を取り戻すという部分が削除されている。それでも完全に排除してしまったわけではなく、例えばペーターの祖母には原作通り賛美歌を読み聞かせてはいる。ペーターについては原作ではもっと愚鈍に描かれているが、視聴者に好感を持たれる上では人物像の改変は避けられなかっただろう。クララの脚は原作だとあっさり治るのだが、アニメはもう少し段階を踏んでリアリティを強化している。
 
 ちなみに名劇シリーズには、ハイジに近い舞台設定の『アルプス物語 わたしのアンネット』という作品があるが、こちらは原作のキリスト教精神を維持したアニメ化となっている。個人的に名劇の中でもかなり好きなほうだが、かなり鬱々とした展開が続くので人は選ぶ。