きゅうげん

進撃の巨人 Season1のきゅうげんのレビュー・感想・評価

進撃の巨人 Season1(2013年製作のアニメ)
3.9
久しぶりに再走。
思えばファンアートやSS、スピンオフやMADなどファンダム文化に初めて接した漫画はこの作品でしたね。

『進撃の巨人』の功績は大きく二つあると、個人的には考えています。
一つ目は、“巨大バトルもの”史の頂点のひとつであること。
日本における“巨大バトルもの”史は「登場人物が巨大物と友好関係をもち戦う」作品(ウルトラマン、昭和ガメラ、鉄人28号、ジェットジャガーなど)という前段階と、現在にいたる「登場人物が巨大物へ搭乗→操縦し戦う」作品(マジンガーZ、ガンダム、エヴァなど)との二つの流れがありますが、前者は間接的な、後者は直接的なバトルであり、兵団や友人たちと巨人とが協力・葛藤する『進撃』は、この二流派の総合的な形といえます。
脊椎という局部にエントリーすることは、作中で重要な意味を持つと同時に、以上のような先行作品の系譜上にあることを確認させるものです。
その上でより重要視すべきは、これまでの先行作品の多くがロボットであったのに対し、同じことを巨人という肉体で実現できたことです。ここが『進撃』の新しかった点でしょう。

二つ目は、そんな巨人による具体的なバトルそのもの。
巨人vs人間にしても巨人vs巨人にしても、おおよその場面は昼間の明るい中で繰り広げられます。
9.11以降モンスター映画やディザスター映画が大転換したことは有名ですが(代表例:スピルバーグ『宇宙戦争』)、それは“いつものお昼”が破局的に襲われたことにあります。
日本において原爆や災害など“日常の破壊”は、密接な存在であったにもかかわらず、『ゴジラ』以降「怖いもの=夜」という時間設定に甘んじてきた歴史がありました。
それが前述の大転換の潮流にあわせ、日本でも揺り戻しがあり(ミレニアム〜シン・ゴジラなど)、マクロなカタストロフ的展開からミクロな市井の被害まで、その惨劇を描写することに『進撃』は最も重きをおいてました。
そしてさらに大事なのが、巨人と戦うための立体機動装置という斬新なアイデアです。巨大物との戦闘において、このギミックは画的なかっこよさはもちろん、人間いち個人をその対立軸になりうる存在にさせたことが大きいです。
これはゴジラにもウルトラマンにも出来なかったことです。
このように、『進撃』はこれまでの数多の先行作品たちの系譜・文脈を多分に取り込み、かつ全く新しい切り口でそれを語ったところが魅力であったのだといえます。

……とゴタゴタ御託を並べましたが、1stシーズンを再鑑賞した今は、「これずっとミカサとアニでエレンの取り合いしてんじゃ〜ん」とニコニコするばかりっすね。