YasujiOshiba

舞妓さんちのまかないさんのYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

舞妓さんちのまかないさん(2022年製作のドラマ)
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ネトフリ。4話まで一気にみる。このままだと朝になりそうなので、楽しみは後にとっておきます。

女優さんたちの大競演が楽しいのですが、個人的には橋本愛に萌えました。だって映画館でナイト・オブ・ザ・リヴィング・デッドを見て、ゾンビの歩き方を真似して、部屋にはポスターまで飾ってあって、もうそれだけで満足するしかないじゃありませんか。もちろん男優陣もすごいのですが、基本サポート役。

続きが楽しみです。

4/1~2
5話から9話まで一気に見ました。

つる駒の福地桃子がよい。めがねが似合います。ふわっとしていて、下手くそなゴジラのモノマネなんて最高。でも芯は通っていて、すーちゃんが「百はな」になってゆく姿を眩しそうに見つめ、台所に「まかないさん」という召命を聞いたキヨちゃんの話にうなずき、何の嫌味もなしに決断すると、さわやかに荷造りをして去ってゆくのです。

照れたように少し斜に構えた笑顔。それでいて、メガネの裏にマグマを秘めるつる駒。漫画もアニメも知らないけれど、ぼくにとってのつる駒は福地桃子だし、とうぶんは福地桃子はつる駒。彼女との出会いはNHKの朝ドラ『なつぞら』(2019)だけど、なんだか自分の娘の友だちみたい。応援したくなりますよね。

それからゾンビだよ、ゾンビ。前半の『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』(1968)だけかと思ったら、途中でリリーフランキーのカクテルの名前が「ゾンビーバー」なんて言っちゃうし、あれあれと思ったら、8話はなんてオープニングから『ゾンビ(The dawn of the dead )』(1978)へのオマージュと来ちゃったのです。

驚いていると、なんと橋本愛の百子ねえさまが花街の節分行事「お化け」で舞妓をゾンビ化粧で登場させるなんて、ほんとうは芸妓しか出ちゃいけない伝統をぶっ壊すとぶちあげるところで、やんややんやの大拍手。

この伝統的な花柳界への反逆、ゾンビで茶化しているけれど、本音のところは芸妓だって結婚して妊娠しても仕事をつづけてもいいじゃないかという、しごく今日的な主張につながっているところがミソ。

しかも、ゾンビと花柳界は冗談みたいだなと思わせておいて、足捌きから歌舞伎や能の摺り足とゾンビ歩きの共通点に触れられちゃうと、これはもう拍手喝采ハットオフですわ。

それにしても、最初の親子丼から、最後のパンの耳のラスクまで、食べ物でこんなにホロリとさせられるドラマって、ほかにあったかな。けっしてウンチク話に終わらない。意地の悪いところがない。ごくごく普通で、やさしくて、ほっとさせてくれる食事。

それがどれだけ大事なことか。作ってもらう人も、作ってあげるう人も、どちらもが幸せになれる。「まかないさん」から生まれるそんな関係にはジンとしますよね。

キヨちゃんの作る「まかない(賄)」のは料理なのだけど、おそらくはこれは「まいない(賄)」と関係するのだと思います。「まいない」とは「舞をなす」ことであり、舞とは神への捧げ物をすること。だとすれば、舞を舞うことに召命を聞いたすーちゃんは舞の「まいない」人。一方で食事を「まかなう」ことがキヨちゃんの召命なのではないでしょうか。

食事の「まかない」にしても、舞の「まいない」にしても、ふたりが行っているのは捧げ物をなすということ。それは、対価を期待することなく、まずは贈与を行うということであり、贈られたものはありがたく受け取るということであり、そして贈られたものに対してはなんらかのお返しをするということ。

こういう交換の形を、モースは「贈与」と呼び、そこからさらに柄谷は氏族社会のような社会構成体の根底に働く「交換様式A」だ書いていましたっけ。なるほど、だとすれば「舞妓さんちのまかないさん」という物語が持っている強力な磁場の正体が見えてくるようです。

いわゆる高度資本主義の時代にあって、ぼくらはかつての人間社会を忘れることがありません。たとえ氏族社会に戻ることはできないにせよ、そこにあったなにか強烈で、純粋なものは、形をかえて今に残ってきているわけで、そいつをぼくらが忘れることはない。

たとえばキヨちゃんの作った茄子の煮浸しを、だれもがありがたくいただき、そこに魔法のような力が働くようなことは、ないわけではないし、それに近いことが起こったりするじゃありませんか。たとえ起こったことがなくても、そんな話を聞いたり、見たりすると、なんだか感じるところがある。それはきっと、ぼくらの誰もが、それをなんらかの形で取り戻したいと思っているからじゃないでしょうかね。

その思いこそは、ぼくらの閉塞を破る力を秘めているのかもしれません。そしてもしかすると、是枝さんたちが資本主義の最先端で作り上げた配信ドラマに表現されていることに、ぼくらは来るべき共同体の到来を予感しちゃってもよいのかもしれない、なんて思ってしまうのです。

いやあ、気持ち良い作品でした。
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