Nella

作りたい女と食べたい女のNellaのネタバレレビュー・内容・結末

作りたい女と食べたい女(2022年製作のドラマ)
4.7

このレビューはネタバレを含みます

毎日見ることができず録画機器もないため、飛び飛びにしか見れなくて残念だった。でもドラマ化した意義は大きいと思う。演出に不満がなくもないけど、とにかく世に知らしめたことが凄いと思う。
演出に対する不満は、「ふたりの女性の恋愛物語である」ということよりも、現代の日本社会における女性蔑視の現実…みたいな部分が強調されすぎてないか?と思う所なんだけど、邦ドラの中でこれまで、「日本社会は圧倒的に男尊女卑である」という前提を共有してこなかったために、どうしても先にその話をしなきゃならず、仕方なかったのだと思う。でも、「女性同士の絆って素敵よね」みたいな、ふんわりした大誤解に着地したらどうしようかと、ハラハラしてしまった。そうならなくて良かった。
【ここからつくたべにかこつけて、持論という名の暴論を展開します、OKの方だけどうぞ】昔から民話や少女漫画の中で、食欲を性欲のメタファーとして描いた作品があると思う。日本の若い女性は「性欲なんてありません。あるとしても結婚して子供を一人もうけるぐらいの、夫となる男性に見合うくらいの性欲です」みたいな控えめそうな欺瞞を、年がら年中言ってなきゃなんない。日本社会は「女の性欲が男と関係ないなんて許さない!!」という謎ルールが根底にあるから。実際にはほとんど関係ないのに(逆も然りで、男の性欲は女の『人格』とはほとんど関係ないと思う)。
で、そんな過度に抑圧された性欲こそ、メタ的に食欲として描かれやすいと思っているので、この物語の原作は大変にわかりやすい。それを「セックスの話もしねーで何が恋愛だ」とかのたまう人は猿以下の脳味噌しかないんだと思う。食事もセックスも文化なのが猿にはわからないもんね。
あと家事の中でも料理は特殊で、創作活動にも位置づけられる。それは別に高級レストランの一流シェフの料理だけではなく、女性が毎日作る家庭料理も同じ。(なぜ『料理人』は男性で、女性は『料理研究家』なんだろうね)
楽器を演奏する人なら分かるだろうけど、独りよがりで「自分だけが気持ちいい」演奏したら誰もセッションしてくれなくなる。逆に、歌や料理、何かしらの創造が上手い男性はモテるように思う。みなまで言うなって話になってきたからこの辺でやめるけど。
春日さんの家なんて非常に分かりやすくて、「女に欲があるなんて恥」と抑圧され続けてきたから、彼女は食欲以外のことには、あんなに控えめで禁欲的なんだと思います。あの父親を見れば誰だって「酷い」と思うだろうけど、日本の父親なんて92%ぐらいはああだと思う。
妻子はアクセサリーではない。老後の孤独を埋めるための慰みものでも、介護のためのケア要員でもないのだから、支配欲を満たすために家族を作るのは、いい加減やめるべきだよ。

余談・原作では着々と上手くいっているが、ふと、春日さんが大病して食事が全く摂れないとか、治っても以前のようには食べられない、みたいになったら野本さんどうするのかな…とも思う。2人を繋いでいるのが食欲(というメタ性欲)だとしたら、それが無くなった時こそ真の絆が試される、みたいな?男女カップルでも同じことだが。
Nella

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