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午前4時にパリの夜は明けるのdojiのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

映画を観ていて幸福だなと思えるのは、ものがたりに身を委ねるというよりも、いまなにが起こっているとか、このあとどうなるかだとか、そういった視点を忘れて、ただ目の前で動くひとびとの瞬間の積み重ねにじぶんも同じように感情的な反応を一つずつしてしまうことで、ミカエル・アースもそんな幸福感を与えてくれる作家なのだなと感じた。

どこかミア・ハンセン=ラブのことが想起されるのは、そういったアンチクライマックス性とあたりまえのようにそこに現実の社会との接続性があるところで、さらにはそれをテーマとしてことさら強調しないところだと思う。『アマンダと僕』では冒頭のテロのシーンが一瞬とはいえ鮮烈に残るけれど、その後の生きていく時間の方に焦点が当てられていて、それはこの映画でもタリアの存在が窓のようにフランスの社会を映しながらも、主人公の家族の生活と時間を観客は体感していく。そこに切実さがないことを批判する向きもありそうなものだけれど、おそらく作家にとって当事者ではないものの姿勢に向き合った上での誠実さの表れのような気がする。

なにについて映画だともはっきりいえないところこそこの映画の魅力で、プリンを食べたあとに家族で踊るシーンや、タリアが聴いていたテレビジョンの音楽、ひさびさのデートに緊張しながら同僚に借りたリップを塗る瞬間だとか、そんなささやかだけれど美しいことの連続で映画ができている。『サマーフィーリング』が未見なので夏の夜に観ようと思う。
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